現代社会は他人の評価によって成り立つものになっています。他人の評価によって、試験に受かったり、入社したり、給料が決まったり、あらゆる事において他人の目が入り、その相手の基準で自分という人間が評価されます。
つまり、他人の見る目によって、評価が変わってしまうのです。上司の性格や能力によって、あるいはお互いの相性によって、部下の評価は変わります。
スポーツの試合もそうですね。格闘技の試合だって、判定になれば審判・レフェリーによって、ずいぶん評価は変わりますし、採点競技である体操やフィギュアスケートなどは大きく違ってくると思います。
世の中、これは仕方のない部分でもありますが、いつも「他人の評価によって自分という人間の価値が変わる」のであれば、「一体、何を自分の拠り所にすればいいのか?」が分からなくなってしまいます。
他人の評価はそれはそれとして受け入れるとしても、もう一つ、自分という人間を自分自身がどう捉えているのか」という自分基準がないと、「評価する相手によって毎回の様に自分の価値が変わってしまう」という事になり、「自分が何をどこで頑張ればいいのか」という基準が決まらないままになります。
これは非常に苦しいと思います。
他人が「自分をどの様に評価するのか」は相手に任せるしかありません。しかし、自分自身が「自分という人間をどういう基準で評価するのか」。そこは自分でしっかりと基準を定めておく必要があります。
勿論、これは独り善がりになるという意味ではありません。
社会や他人の様子をきちんと見据えながら、「自分という人間は、社会や他人に対してどんな分野なら役に立てるのか、どういう事をすれば喜ばれるのか」という客観性を持った上で、しかもその中で自分自身も喜びを持てる」というものを考える。
「自分が好きな事の中で、他人にも喜ばれるもの」を探し出す作業を行う。
そうすれば、独り善がりにもならず、しかも自分も苦しくない、というものを選び出せるはずです。
「他人の評価だけを当てにして、自分の好きな事は我慢する」
こんな生き方では必ず無理が来ます。
それは自分への虐待をしているのと同じですから、いずれ心にも体にも限界が来るでしょう。
他人の基準に合わせていれば、必ず無理が来てしまう。
早めに、「自分の好きなもの、自分が大切に思うもの」の中から、自分が一生取り組んでいくべきものを選んでおけば、その道における努力が苦痛ではなく、楽しいものになります。
現代社会の「他人目線」だけの自己評価から、「自分目線」での自己評価を組み合わせて、本当に幸せに生きるための自己の評価基準を手に入れる。
そうすれば、他人による評価に悩んだり、必要以上に振り回されたりする事がなくなり、自分らしく生きていける様になるのではないでしょうか。
少し、傲慢に聞こえる言い方かもしれませんが、
「他人の評価や価値観に振り回されない」
「自分の価値・自分への評価は自分自身が決める」
それ位の強い気持ちが、現代のストレス社会を生きる人間には必要なのではないかと思います。
そして、そうやって「自分自身で作り上げた自分のイメージ」に従って、
「自分の人生を生きていく」事を提案したいのです。