【「苦」から解放される生き方】
「人生は苦である」とよく言いますが、なぜ苦しいのか?何が苦しいのか?をしっかりと考える人は少ない様に思います。
苦しさから逃れようと、趣味や快楽に目を向けるけれど、逃げられるわけもなく結局は生涯苦しみ続ける人が多いのではないか。少なくとも、「人生が楽しくて楽しくて仕方がない」と心の底から思い続けて生きていける人はほとんどいないだろうと思う。
心理学や仏教の研究をされていた秋山さと子さんの著書「悟りの分析」に、参考になる部分があったので紹介したいと思います。
なぜ生きている事が苦なのか?
それは仏教では諸法無我、つまりあらゆるものには実体がないからと考える。
実体がないのに、それがある様に錯覚しているから、あらゆる苦労が生まれるのだ。
精神分析では、全て無意識的なものは、外界の現実に投影されるので、人は決して現実の状況や物をそのままには見ず、無意識のイメージの薄幕を通して見ていると考えている。
仏教でいう諸行無常、あらゆる行いは決して同じ状態にはとどまらない、物事は常に移り変わっている。なのに、人間はそれを知ろうとしない。
何か良い事があれば、それが永久に続けばいいと思ってしまう。あるいは続くはずだと思い、いつも裏切られるのだ。
人間は良くも悪くも、過去の記憶や未来への希望に動かされて生きている。そして過去に囚われたり、未来に期待を持ち過ぎるから、問題が出て来るのだ。しかし、多くの人はそこに気付かない。
諸法無我は空間的な考え方、諸行無常は時間的な考え方と言える。
これらの無意識的な問題をしっかりと見つめて、その理由を知り、自分の心の中の問題を解決する事が出来れば、人間は無意識的に同じ苦労を繰り返す輪廻の世界から脱出し、燃え上がる本能の衝動の火が消え、永遠に静かな涅槃静寂の世界に入る事が出来る。
以上抜粋

物凄く大雑把にまとめると、人間の不幸というものは、
①実体がないものに捉われる事から生まれる。
自分というものなど、本当には存在しないにも関わらず、それが存在していると勘違いし、他者との関係や競争に捉われて自ら不幸になってしまうだけだ。
②存在し続けるものなど何処にもない事が理解できない事から生まれる。
無常でないもの、永遠に続くものなどないのに、自分という存在や、家族や友人などがずっと居続けてくれるかの様に勘違いし、居てくれるのが当たり前と思い、感謝を忘れてしまう。
この二つが主な原因になるという感じになるのかな。
これを完全に捨て去れたら、本当に輪廻から脱する事が出来るのか?そして幸せになれるのか?
「輪廻こそが苦しみである」というアーユルヴェーダや仏教といったインド哲学の教えが正しければ、そこから抜け出す事こそが人間の目指す本当の幸せという事になるんでしょうね。この世的な、物質的に恵まれるとか、経済的、社会的な成功や出世など、幻想であり、一時的には幸福に見えるが実は不幸のタネでしかないものなのだ、という事に気付けるはず。
肉体を持ち、現世的な価値観の中で生きていると、完全にそれを信じる事は難しいけれど、しかしそうは言いつつも、「カネやモノだけでは完全に満足し切れないんだろうな」と感じる気持ちがあるという事は、自分も心のどこかでこの真理が分かっているという事なのかもしれない。
脳、つまり心が望む肉体的、現世的な幸せとは別に、その奥にある魂はあの世的な価値観を求めているという事になるのかな、と思えてきますね。