「認知の歪み」が不幸を生み出す
前から読みたかった本「ケーキの切れない非行少年たち」を少しずつ読み進めています。
少年院や医療少年院での経験から書かれた文章が説得力ありますね。
殺人事件を起こした少年の自己認識が「自分は優しい人間である」という所には、衝撃を受けました。本気で自分でそう思っているのだそうです。この「”認知の歪み”を直せないと、更生など絶対に上手くいかない」というのは本当にそうだなと思わされました。勉強でもスポーツでも仕事でも、上達するかどうかってこの「自己に対する認知」がどれだけ出来ているかが大切で、ここが欠けていると何をやっても上手くいかないですもんね。
僕は、「発達障害」と言われる人達には何百人と接してきたので、そういう人達の「認知の歪み」から来る生き辛さは肌で感じてきました。そういう部分について分かりやすく書かれていて、とても興味深いです。発達障害が本当の意味での、病気とか障害と言うか、先天的なものであるかは、僕は疑問があるのですが。食べ物や薬害の影響も大きいと思っているので。
少しずつ、気になった部分を紹介してみたいと思います。
【不適切な自己評価】 自分の事を知らないとどうなるのか?
ある少年に不適切な誤りがあった場合、その少年がそれを正したいという気持ちを持つに亜h、まず“自分の今の姿を知る”といったプロセスが必要になる。事故の問題や課題に気付かせ、“もっといい自分になりたい”といった気持ちを持たせる事が、変化のための大きな動機付けになる。
ところが、もしここで、多くの問題や課題を抱える人が、“自分には問題がない”“自分はいい人間だ”と信じていて、自己の姿を適切に評価出来ていなければどうなるか?
自己へのフィードバックが正しく行えず、「自分を変えたい」といった動機付けも生じないので、誤りを正せないばかりか、対人関係においても様々な不適切な行動に繋がってしまう。
例えば少年院では、
自分の事は棚に上げて、他人の欠点ばかり指摘する
どんなに酷い犯罪を行っていても、自分は優しい人間だという
プライドが変に高い、変に自信を持っている、逆に極端に自分に自信がない
といった少年達が見られる。
殺人事件を起こしている少年でさえも「自分は優しい人間だ」と言った事には驚かされたが、同時に「この自己への歪んだ評価を修正せねば更生させる事は出来ない」と課題の所在も強く感じさせられた。