「間引き」を考える

ニンジンが育ってきて、間引きを少しずつしています。せっかく育ったのを間引くって、すごく複雑な気持ちになってしまいます。多分、慣れてくるとこういうナイーブさも失ってしまうんやろうなと思うんですけどね。

「間引き」って人に対してよく使うけど、元々はこっちが先ですもんね。

語源を体で知ると、使う時にこもる意味が変わる気がします。15歳で空手を始めた時、その世界の韻語?で、道場生が増えてきて道場が手狭になってくると、先輩方が「ちょっと間引くぞ!」とかいってシゴキが始まったりするのですが、その頃の辛い思い出が蘇ってきてとてもイヤな気がしてきます。

僕は速攻で間引かれそうになる側でしたし、いつも必死で耐えてきたので、何の世界を見ても間引かれる側の気持ちになってしまうんですよね・・・。

自然界では「弱者」というのか、「環境に適応できない者」が淘汰されるのが自然であり、それが当然というか、その厳しさこそ、ある意味では自然界の美しさであるのだとは思うのですが。

「”人間の考える”優しさ」とか「思いやり」みたいなものって、何なんやろう?

神様から見たらどんな風に見えるんやろうな~?とか考えてしまいました。

人間という生き物が、本当に物事を正しく捉えるのは不可能なわけですし、そう思うと、動物愛護とか、環境問題とか、人類が善と考えるものって、相当な勘違いがあるはずですよね。全世界を俯瞰して見られたとしたら、地球レベルでの「正しさ」ってどんなものなんでしょうね~。

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