脳を操れるが故、人間の苦悩は生まれる①

「〈日本人のメンタルトレーニング〉長田一臣(日本体育大学 教授)」。

ずいぶん昔に読んだ本なのですが、パラパラと読み返していた時に改めて考えさせられる部分があったので抜粋して紹介したいと思います。

病気や体調不良、あるいは何か人生の大きな壁の様なものに当たって悩まれている方には参考になるかもしれません。

現在はマラソンの解説者やテレビのコメンテーター、今は女優さんとしても活躍中の増田明美さんについて書かれた部分です。

アスリートの試合での様子を通して、人間の心と体の関係についてとても深い内容が書かれています。

以下、抜粋です。


「不安と緊張と彷徨の人生 ―増田明美選手の失速―」
 
心と体の微妙な兼ね合い
 
 
ロス・オリンピックにおける長崎宏子選手のパニック、東京世界陸上直前の山下佐知子選手の膝痛、そして佐々木精一郎選手の奇妙な腹痛など、スポーツにおいては、心と体の微妙な兼ね合いが象徴的な形をとって現れる。
それはあたかも人生そのものの様だ。
 
ある時は心と体が対立拮抗して葛藤している様に見えるが、ある時は心と体が示し合わせて相互扶助的によろしくやっている様にも見える。つまり、心と体における戦争と平和である。
 
世界的脳外科の権威W・ペンフィールドの「新・心身二元論」がある。彼は脳外科医として散々脳を切り刻んだあげく、
「人間は二つの基本的要素から成るという説が、一つの要素から成るという説と比べて真実性が少ないとは思えない」と言っている。
つまり、
「脳だけで心の働きを説明出来るという十分な証拠はなく、人間は一つの要素ではなく、二つの要素から成り立っていると考えた方が理解しやすい」
というのである。
 
「この悲惨な倒れ方」
 
昭和58年1月30日の大阪国際女子マラソンにおいて、日本国民の期待を担って増田選手が出場した。
まだ15キロも走っていない時点で、7位。先頭集団から200mほど離れた所を走っている。これはちょっと問題だ。増田選手は追い込み型の選手ではないからだ。それが先頭集団にいないのは問題である。常に先頭集団で競う走り方が、増田線湯の信条だったからだ。
 
その後方には観衆に手を振って元気よく走るドーレ選手を中心とした陽気な一団がいる。この少し先を走る増田選手は、ただ懸命に走っているだけで、勢いというものが全然認められない。
「これは、ちょっと事だぞ、増田選手は後ろの集団に吞み込まれて置き去りにされたら、もう倒れるしか身の処しようがないなぁ」と私は隣の医学博士に語り掛けるともなく独り言の様につぶやいた。
「どうして?そんな事あるはずないじゃない」と私を非難する様な口ぶりの医学博士。
 
何か噛み合わない、ちぐはぐなやり取りが終わるか終わらぬうちに、勢いのよい後方集団が増田選手をどっと呑み込み、まるでカスを放り出す様に彼女を取り残して走り去った。
 
その瞬間である。
 
続く

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