脳を操れるが故、人間の苦悩は生まれる③

続きです。


「ヘラスの医者は人間の病気を治せない -プラトン-」
 
こういうやり取りを見ていると、ものの見方、考え方がギリシャの時代から一歩も進んでいない様に見える。古代ギリシャの哲学者プラトンは、ヘラス(ギリシャの古称)の医者は人間の病気を治せない、と言っている。つまり、個々の器官ばかりを診て、病気で悩んでいる「人間の心を見られない」からだという。
これは現代に続く医療上の問題でもある。
 
自動車のような単純なメカなら、なぜ動かないかは個々の部品を点検すればすぐ分かる。自動車は「部品が悪いと悩む」事はない。
しかし、医者が個々の器官を点検して、「どこにも異常がない」と言っても、それでも「具合が悪いのです」と言うのが人間である。医学用語ではないが、「不定愁訴」というのがこれに当たる。
 
増田選手の医学的診断それ自体はなんら誤りがないが、関心が体にだけ集中し、「木を見て森を見ない」伝統的単眼視が気になるのである。これは必ずしもお医者さんの責任だとは言えない。
 
増田選手は国民の期待感による重圧に耐え切れなかったのである。何が何でも先頭を走らねばならず、勝たねば承知しない様な世論がある。当時の女子マラソンの世界最高は2時間25分台であり、増田選手の記録は2時間36分。それでも先頭を走り、優勝しろとは無理難題というものである。
 
同じ様な力量の選手が沢山いるなら生け花の剣山の様に面となって圧力は分散される。だが、一本の針、つまり点で受ける時は、一人の選手にとってその圧力は猛烈なストレス要因となる。夜は眠れず、食べ物も喉を通らなくなる。
 
要するに倒れた原因は不食と不眠による体力的欠乏である。心配事があって不眠や腐食が起こる事は病気でも何でもない。むしろ人間として正常な反応である。試合が終われば心配事は雲散霧消するから、よく眠れてよく食べられる様になる。正常状態に復して医学的な精密検査をしても、そこに発見される症状は、持病の「貧血症状」ぐらいだろう。
問題は、軽い貧血症のほか肉体的に以上は認められないという医学的所見で胸をなでおろしている関係者の方にある。
 
続く

人間全体を見ない。人の心を見ない。

これは今の教育や医学でもそうだし、あらゆるジャンルで言えることですよね・・・。

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