脳を操れるが故、人間の苦悩は生まれる④

続きです。

この部分、めちゃくちゃ分かりますね。

自分の修行時代や試合での経験の中でも、この自分の心、人生観というものが出て来る瞬間を何度も何度も味わいました。人生観=自分の正体」といってもいいかもしれないですね。

見たくない、自分の大嫌いな自分の姿。でも、「それを見なければ自分の成長はない」という部分。




「人間としての身の処しよう」
 
「人生マラソン」というのは、人生もマラソンの様なもので長丁場だという例えだが、マラソンも人生の様なもので色んなドラマがある。人間、人生を生きていて、出処進退というものがある。
「負けるが勝ち」という勝ち方があり、「武士は食わねど高楊枝」という名誉・気位・空元気の事もあり、腹を切るほか道がない事もある。
 
増田選手のマラソンを見て、私は「あ、これは倒れる他に身の処しようはないな」と感じ、「そんな事あるはずがない」というのが医学博士の見解だった。
 
この二人の間にどういう違いがあったのだろうか?
強いて言えば、ドクターは「マラソン=体」という図式で、
私は「マラソン=人生=心」
という立場の違いだったろうと思われる。
 
人生は競馬の様でもあるが、エリザベス女王の持ち馬が走る競馬ではなく、どう見ても浦和競馬である。一番になる事を期待された馬がどん尻になる事は観衆が許さない。だったら落馬する他、道はなかろう。
 
騎手が落馬して居なくなっても、馬は馬鹿だから走る。
ここに「人生を生きる人間」と「馬生」を生きる馬との違いがある。
 
コンピューターは脳を持たないが、脳の仕組みは持っている。
動物は脳を持っているが、脳の仕組みに操られているのだろう。
自己の無力を悟り、人生の空しさを感得する人間の心は、脳の仕組みを自由に操って生きていると言えるだろう。
 
増田選手は走りながら考えた。
――もう一番になる事は出来ない。天下の増田選手が何十番では走る意味はない。散々走った末に倒れるのでは意味がない。
倒れるなら「えっ、まだいくらも走っていないのに」という緒戦でなければならないーー
 
私がテレビを見たのはちょうどそういう時期だった。
勢いのある後続集団に置いていかれた瞬間がキッカケであった。
 
今をおいてその時期はない!
彼女は顔面から突っ込む様に倒れ込んだ。
 
動物には出来ない、極めて人間的な増田選手の落馬の瞬間だったのだ。
彼女は名誉を選んだのである。
 
そして私は、人生を走る姿を増田選手の中に見たのである。
 
続く
 

これが見えた瞬間、本当に逃げたくなる。けれど、逃げる訳にはいかない。

まさに「葛藤する」という状態。

自分が何度も体験しているから、教えている選手がこの場面に立ち会った瞬間も、気持ちが物凄く分かる。

こんな自分を見たくない、今すぐ逃げたい、と思う瞬間。本当に苦しい状況に追い込まれた時、「その人の人生」が垣間見える。その人のベースにあるものがむき出しにされる。

でも、ここを乗り越えた人間は強く逞しくなる。自分で選んだ道で、この瞬間を乗り越えて欲しい、といつも思うんですよね。

この時に邪魔をするのは「プライド」ですよね。

プライドが傷つく事を人は異常に怖れる。

これがその人の人生から、可能性を奪ってしまう。

そういう弱い部分は誰にでもあるけれど、この「プライドが必要以上に高い」、あるいは「自分の実像とかけ離れている」と、その「プライド」が、「その人の人生を壊す」結果になってしまうんでしょうね。

動物はそれが無いから、自分の能力を発揮する事を妨げるものがない。在りのままに生きられる。

人間は下手に賢い、脳を操れるから、余計な壁を自分で作り出してしまう。人の目や他人からの評価。「自分が他人からどう見られているか?」という自己への評価によってがんじがらめになってしまう。

そんなものに実体などないのに・・・。

自分の実力で出来るところまでを、きちんとやればいい。自分の内に無いものは出せないのだ。だから人の目を怖れたり、失敗を批判される事に目を向けず、自分の力を出し切って、自分自身を曝け出せばいい。

そう考えればいいだけなのに、そんな簡単な事が出来ない。異常に肥大化したプライドがそれを許さない。

負けるくらいなら、失敗するくらいなら、勝負や表舞台を避ければいい。

それには挑戦しないのが一番だ。あるいは失敗しそうになったら、自分からその場を逃げ出す、放棄してしまえばいい。

自分の意見を表明したくない人もこれだと思うけど、自分を外に曝け出す事を必要以上に怖れてしまう。そして、そんな自分が好きになれない、嫌いだから、それを素直にやっている他人を妬み、必要以上に嫌い、批判してしまう。

でも、そんな事をやっている限りは、本当の自分には一生出会えない事になってしまう。

人が本当の自分に出会える時、自らの生涯をかける価値のあるものに出会える時というのは、自分のくだらないプライド=エゴを捨てられた時なのだと思う。

「くだらない自己顕示欲、みみっちいプライドをかなぐり捨ててでも、それが欲しいんだ!」と心の底から思えるものに出会った時、人は変われるのだろうなと思います。

そして、それに出会うためには、人の目、他者からの評価を一旦捨てて、自分の魂(真我)と会話する事が必要なんだと思う。

Follow me!