コスパを求めた結果、失ってしまうもの
凄く大切なこと。
この文章を介当てる人 凄く言語化が上手い。
紹介してはるイチローさんのインタビュー、昔見た事があるけど、これも凄くいい事を言うてはりましたね。
今よく言われる「コスパ」っていう言葉の中身は、自分軸ではなくて他人軸なもの、「他人や世間からの評価を如何に効率よく受けるか?」になってしまっているんやと思います。
本当の自分の望み、魂レベルでやりたい事ではなく、承認欲求によるもので動くと、本当には満たされないと思うんですよね。
若い頃からコスパを求めた生き方をしているとどんな落とし穴が待っていますか?に対するTAISEI.Sさんの回答 – Quora
若い頃からコスパを求めた生き方をしているとどんな落とし穴が待っていますか?
呪術師執筆者は749件の回答を行い、565.5万回閲覧されています11ヶ月
冒険ができなくなります。
コスパとは、できるだけ「低予算・短時間・低労力」で良いモノを手に入れたいという考えです。
「費用対効果」を基準に意思決定しています。
つまりそれ以外の部分は過小評価するわけです。
その目先のメリットを追い求める生き方と真逆の生き方が直感的な生き方です。直感的思考から心の赴くままに意思決定するという事はリスクが大きいです。直感は根拠もなく選択をします。
私達はレビューを大切にします。
この店が美味しいらしい。
この映画が良いらしい。
この場所がインスタ映えらしい。
確かに失敗はしたくないし、不毛な時間は減らしたい。生活は効率化しますし、便利になります。
でもそれが正解かどうかを選ぶのはあくまで自分自身です。そして本当にそれが正しいのかを結論付けるのは直感だったりします。
わかりきっている正解の範囲内で遊ぶのか、新しい未知の意外性を知るのかはどちらが良いのでしょうか。
コスパ「だけ」を追及した人生とは、外側ばかりが立派で中身の少ない人生ではないでしょうか。
人生には数値化されたシンプルな目標なんて存在しないので、何をもってコスパが良いのかの基準を持つことは難しいです。
特に100年時代と言われている現代は人生の目標が移り変わります。人が何に、どれだけ価値を感じるかということは、時間や関係性によって、常に変化するものです。
人間は成長しますし、価値観も変わっていきます。コスパは今の自分が持つ見識に大きく依存したものです。
そうなると結局は外側だけを埋めることに必死になります。
しかし人生はそんなものでしょうか?自分のワクワク感や、自分の感動を満たすのも人生ではないでしょうか。
コスパの追求は、既存の大衆的な文化を追うフォロワーのようなものです。確かに効率的だし、みんな一緒の精神で生きていけるので楽かもしれませんが、自発的な好奇心等は生まれませんので、自分の中の感動とかそういったものが生まれなくなります。
またコスパの良い人生を追求して失敗したら、不幸せになるしかないですよね。コスパ以外の人生を許容していないので失敗するとコスパという効率的な生き方が出来にくくなります。
そうなった時に本当にコスパと言えるのだろうか。
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