「心を育てる」と言いますが、目に見えるモノとは違い、心を外に取り出して、作ったり磨いたり出来るものではありません。これが、「心の教育」が難しいと言われるゆえんですね。学校の道徳の時間や倫理の授業で、いくら勉強しても、テストでいい点を取っても、それで人格が練れるわけでも、幸せな人生が送れるわけでもありませんよね。

「心とは見えるものではない」、これがミソですね。

だったら、見える様にすればいい。

その様に、当アカデミーでは考えます。よく言われる表現をするなら、「可視化する」という感じでしょうか?

といっても、新しい事でも難しい事でもありません。

というよりも、とても古くから行われている古典的な方法です。「古くて新しい」と言ったほうがいいかもしれませんね。

大昔から行われている様に、「見えないモノならば、見える様にして、見えるカタチで、磨いたり、作ったりすればいい」のです。

日本だけでなく、東洋では、古くからこういった考えで、身体を使った修行を通じて、心を磨いてきました。

カラダの所作や動きに、その人の心、魂は表れる。

あるいは芸術ならば、その人が表現した文字や絵画に、その心が表れる、と。

心身一如、それは東洋に共通する思想であり、価値観だと思います。

しかし、ここでちょっと疑問がわいてきませんか?

体は目に見えるモノですし、何を指すのかが具体的に分かりますね。

しかし、心とは一体何なのでしょう? 心の正体とは何?

 → 心とは何か? ~心の正体~