「幸せになりたい」というのは万人の望みだと思うのですが、そうなれるかどうかは本人の「思考パターン」が決めています。思考パターンとは、つまりは性格の事なので、「性格が人生を決める」という事になりますね。

幸せになれる人は「他人の幸せを願える人=他人の幸せを、自分の幸せと感じられる人」であり、幸せになれない人=不幸になる人は「他人の幸せを願わない人=他人の不幸を願う人」となります。

ここで、「え!いやそんな性格悪い奴いるのか?少なくとも自分はどうではない」と思った人は偽善者である可能性が高いと思います。自分の胸に手を当てて、正直に考えてみて下さい。

入試や資格試験の時、「自分が落ちてもいいからその分誰か一人、受かったらいいな。僕は落ちてもいいから、仲良しのA君が受かりますように。神様、そうしてあげて下さい」なんて願った人がいますか?まあ、いないですよね?

という事は、この基準で見れば、誰もが偽善者なんですよね。

勿論、僕もこの基準では当然偽善者に入ります。自分は落ちてもいいから、友達に受かってほしいなんて、とても言えません。自分が受かっていて安全圏にいるのなら、友達にも受かって欲しいと思えますけど。

でも、これは人間なら仕方のない事です。

誰だって、「自分が幸せになりたい」し、「自分が生き残りたい」。それは生命体として自然な事だからです。

これって、そもそものルールの設定が間違っているんですよね。

「絶対値で決める」ものなら、こういう思考パターンにはならないはずなんですよ。

「ある点数以上なら、みんな合格」こういうルールだったら、どうでしょう。

ちゃんと勉強したら、誰もが受かるわけです。

これってきちんとした実力さえつければ、誰もが幸せになれるルールじゃないですか。何で世の中って、そうしないんでしょうね。

スポーツの世界みたいに、「その順位をつける事を“ゲーム”として楽しむ」という前提ならいいんですよ、他者との比較、相対値をつける事を楽しむもの。あくまでそういうゲームなわけですから。

でも、実社会では「ある一定以上のレベルであればいい」はずの仕事の資格などにおいてさえ、なぜか「上から順位をつけて、下は切り捨てる」。

これって何かおかしくないか?って話だと思うのです。弁護士とかの資格がそうなんじゃないかと思うのですが、「“資格を取るレース”を競わせる」んじゃなくて、あるレベルさえクリアしていれば資格を与える。そして、そこから「誰が“他者から必要とされて、幸せにしているのか”というレースを競うべき」だと思うんですね。

そこからのレースなら、それぞれの個性や向き不向きが活かせると思うのです。

そうでなければ、脳が「他者の幸せを願う」という思考回路をインストール出来ないと思うのです。

世の中の仕事・役割というものは、全て自分が主体ではなくて相手が主体。「他者の役に立ち、他者を幸せにする事こそが仕事」なわけですから、基本的な思考パターンとして、「他者の幸せを願う」という思考回路が入っていない人間には、相手の幸せを願った仕事は出来ないはず。

幼い子供の頃から学生時代、さらに修行時代もずっと、他人と比較され、順位を比べられて、常に優劣を競わされてきた人間、つまり「他者を蹴落としてでも自分のランキングを上げる事に精を出してきた人間」が、社会に出た途端、その真逆の価値観である「他者の喜びを我が喜びと感じられる人間」になれる訳がないんですよね。

自分さえ幸せになればいい」という思考パターンを取る人のそばに居たいと思いますか?絶対にイヤですよね。自分がそうなのだから、相手だって同じです。そんな人間とは誰だって距離を置きたいと思います。

なのに、なぜか人というものは、相手の感情を理解せず自分の思考パターンを優先してしまうものなんですよね。なぜならそれは神経の反応だからです。単純にいうと、自転車でこけそうになった時「足が自分の意思とは関係なく出る」というのと同じです。生命体としての基本的な反応なんですね。

そして、この思考パターンは人間の根っこにある部分ですから、一生変わらない位に強烈に植え付けられた価値観だと思うのです。基礎の部分というのは、余程痛い目に合わないと「価値観の入れ換え」というのは起こらない。

ところが、人間社会というものは、原始的な生活から進化して、現在は一応表向きは共存・共栄していく社会になっているわけだから、この原始的な「自分だけが生き残る」というシステムでは、他者との人間関係が上手くこなせない。

だから、脳内のプログラミングの書き換えによって、この部分の価値観の入れ換え、「他者の幸せを自分の幸せと感じて、他者と共存していけるアプリ」をインストールする必要があるのです。

もういい加減に、日本はこの人間の根っこにある価値観の入れ換えを行うべきだと思っています。というか、昔の日本はこういう利他の思考を持っていたはずなので、ご先祖の記憶を辿ればいいのだと思います。

当アカデミーは、綺麗事でもなんでもなく、これこそが自分も幸せになり、周囲の人も幸せにする価値観だと認識しているので、こうした思考パターンを脳にインストール方法をお伝えしていきたいと考えています。