「自主性」が子供を苦しませる

なかなか考えさせられる記事でした。これは子供の習い事でよく見かける例ですね。

僕は空手やボクシングで少年部の指導もしてたし、障害児の療育もやってたんですけど、「自主性」という美名のもとに、選んだ「責任」を必要以上に押しつける親が結構いてました。「自分で選んだんだ」という責任感を意識させられるから、逆に子供が気軽に挑戦できなかったり、選択がむずかしくなったりする場面をよく見てきました。

大人でもそうですけど、本当は「とりあえずやってみな!」って言われる方が楽やったりするんですよね。辛いトレーニングを、「自分の意志で、今からやるか、やらないかを選びなさい」って言われたら、その選択ってかなりキツイですよね。

僕が子供の頃通っていた歯医者さんが、見た目もヒゲ面でイカツい上に、歯を抜かんとアカン時に毎回、「今日抜くか、次に抜くか、どっちにする?」って小学生に聞く人やったんですよ。そんなもん、子供に聞いたら間違いなく「次にする」って言いますやん。痛いし、怖いし。

そして、そこからの一周間はもう毎日が恐怖やったんですよね。何をやってても楽しくない。友達と楽しく遊んでても、「来週、あの痛い注射して歯を抜かれるんや・・・」っていう恐怖が頭の中から離れない。「こんな怖い想いをするんやったら、あの時『今にする』って言うて抜いといたら、今頃は気楽に過ごせたのに・・・」て思うんですけど、また次に抜かなアカン時が来たら、また「次にする」って言うてしまうんですよね・・・。

これ未だに自分の意志の弱さに対するトラウマになってますもんね、小学校の頃の記憶が今でも強烈に残っている。そして、未だに歯医者へのトラウマがありますもん(笑)

自分の責任で「選ぶ」って脳にとっては、結構なエネルギーを消費するので、大きなストレスになるもの。だから、本人に「選択させる」というのは親がかなり上手く与える必要があるなと思うんですよね。

上手い具合に「逃げ道」を用意しておいてあげるのは、人を育てる時に重要やなっていうのは指導者として意識しています。勿論、「ここは絶対逃げたらアカン」っていう部分もありますけど。

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なんでも「自分で決めさせる」親が、子どもを追い詰めているかもしれない理由より抜粋して紹介。

自分で選ばせなくていいこれは、どんな場面でなにをするにも子どもに選ばせている、子どもに対して理解のあるリベラルな親でありたいと考えている人に向けての言葉です。たしかに、子どもが思春期に差しかかって徐々に自我が目覚めて自己主張をするようになれば、そういう考え方も大切かもしれません。でも、幼い子どもの場合ならどうでしょうか?

 幼い子どもにはまだはっきりした自我も判断力もありませんから、なんでもかんでも子ども自身で選ぶことはできません。幼い子どもなら本気で、「お父さんとお母さんに選んでほしい」と思っていることもあるでしょうし、子どもが「どっちでもいい」といったらどっちでもいいのです。

そういうときは、ある程度、親が決めてしまっていいとわたしは考えています。子どもが自分で選びたいというときだけ選ばせてあげればそれでいい。子どもになにかスポーツをさせたいと思うのなら、周囲の環境のなかで、「ちょっと水泳教室を見てみようか」「野球チームの体験練習に参加してみる?」というふうに、いくつかの選択肢を示してあげる。それで、子どもが選べないようだったら、子どもは親を信頼しているので、「じゃ、水泳を習ってみようよ」というふうに選んであげていいのです。

もちろん、無理強いしてはいけません。子どもに「お父さんとお母さんがそういうなら、やってみようかな」という気持ちがあることが大前提です。そのうち、子どもが成長して自分の意志が出てきたら、そのときは子どもの意志を尊重すればいいのです。

このことには、わたしからひとつ注意してほしいことが含まれます。子どもに選ばせることにこだわる親のなかには、無理に子どもに選ばせたにもかかわらず、子どもが習い事をやめたいということになった場合などに、「あなたが選んだんでしょ!」というふうに子どもの責任にする親もいます。それでは子どもが追い詰められてしまいます。そんな事態を招かないためにも、子どもの自我が目覚めるまでは、親が選んでもいいというふうに考えてみましょう。

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