言葉の数の重要性
人間は「言葉」で考えているから、脳内にある語彙は本当に大事やなと思っています。
僕はフィジカルトレーナーですが、人に指導する時に読書は凄く薦めます。
難しい本じゃなくていい、簡単で自分の興味ある分野からでいいから、本を読んで自分の脳内にある言葉を増やす」のは、トレーニングにおいてもその目指す先に在る競技や健康においても本当に大切。
「言葉」と「イメージ」が結び付けられない人は、色んな事がなかなか上手くいかないんですよね。昔の人が大切にしていた「言霊」ってこれやと思っています。
以下、致知出版社の人間力メルマガより転載
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お茶の水女子大学名誉教授の藤原正彦氏は
20年以上、国語教育の重要性を訴えられてきました。
著名な数学者である藤原氏が、なぜそこまで国語教育にこだわられるのか。
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(──数学者でいらっしゃる藤原先生が
徹底して国語にこだわられるのは興味深いことですね。)
(藤原)
私が国語にこだわるのは、すべての人間にとって、
国語が知的活動の基礎だからです。
数学者からしたら「算数が一番」と言ってほしいのでしょうが、私は「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数」だから数学者の間で評判が悪いのです(笑)。
だけど、彼らだって本音では分かっていますよ。
やはり国語には敵わないということを。
私たち人間は何かを思考し、それを言葉で表現します。
逆に言葉を使って考えを整理していきます。それには何よりも語彙が大切になってくるのです。
地下鉄の中で「あの先生、チョーむかつく」と話している中学生の会話に耳を傾けていると、その語彙は百語から二百語くらいです。
ということは百か二百くらいの思考しかないということですね。
人を愛するのでも、好きか嫌いかだけだったら獣の恋しかできない。
しかし日本には「愛する」「恋する」「慕う」
「恋い焦がれる」「横恋慕」「岡惚れ」、
それから私の得意な「片思い」とか(笑)、
何百とあります。
それらを知れば知るほど恋愛は襞が深くなっていくのです。
(──そうでしょうね。)
(藤原)
恋愛だけではありません。
子供たちにはとにかく漢字を叩き込んで、濫読でもいいのでたくさんの本を読ませて、感動の涙と共に人間としての豊かな情緒、道徳を育んであげることが大切だと思います。
弱い者は何があっても助けなくてはいけないという正義感を身につけさせることもそうです。
私自身のことを振り返っても、小学生の時に東北の貧しい農民の詩を読んで涙しながら、弱者に共感する心、いわゆる惻隠の情を知らず知らずのうちに身につけていった気がします。