接触面を極限までなくす

この記事、面白かった。

G-SHOCK、仕事で体を動かすので使ってるんですけど、開発秘話を全く知らなかったです。

そして、この開発の経過には、人が生きていく上での色んなヒントが込められている様に思います。

本当の知恵が出る時とは、

欲ではなく、なぜか自然と興味が湧いた時。

とことんまで追い込まれた時。

自分ではなく、「誰かのために」と思った時。

距離感について

対人でも対物でも、お互いを生かし合う適切な距離がある。

近過ぎず、遠過ぎず。

密着し過ぎて、相互依存したり、傷つけ合わない。

遠過ぎて、疎遠にならない。

摩擦がないと引っ掛かりが生まれないけど、近いと摩擦し過ぎて色んな問題が生じてしまう。

ちょっと長いですが、凄く面白いと思います。

致知出版社の人間力メルマガ 2023.4.19

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本日は、腕時計「G-SHOCK」の知られざる開発秘話をご紹介します。
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「G-SHOCKはこうして生まれた」
 伊部菊雄(カシオ計算機シニアフェロー)
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落としても壊れない丈夫な時計をつくりたい――
この純粋な思いに端を発して、世界初のタフネスウォッチ・G-SHOCKは誕生しました。

発売から三十八年経った現在、全世界の販売総数は一億二千万本以上、超ロングセラー商品です。
高さ十メートルから落としても、巨大トラックの下敷きになっても壊れない耐久性を誇るこの時計の開発に私が挑んだのは、一九八一年、十八歳の時でした。

新卒でカシオ計算機に入社し、時計の設計部で働いていたある日のこと。
職場の廊下で人とぶつかった拍子に時計が腕から外れ、コンクリート製の床に落ちてバラバラに壊れてしまいました。
その時、時計を失った悲しみよりも、「時計は落とすと壊れる」という“常識”を実体験できたことに感動してしまったのです。

その興奮冷めやらぬまま「落としても壊れない丈夫な時計」というたった一行の新商品提案書を会社に提出。
開発許可が下りたものの、提案前に基礎実験も行っていない、思い先行の提案でした。

インパクトを求めて、落下実験は腕の高さでなく、実験室があった三階のトイレの窓から行いました。
初めに時計の周りを緩衝ゴムで覆い耐久可能な厚さを調べました。
その結果、ゴムの厚みはソフトボール大になってしまい、そこで初めて開発の困難さに気づいたのです。

試行錯誤を重ね、時計の心臓部(モジュール)をケースカバーやゴムガードリンクなどの部品で覆う「五段階衝撃吸収構造」を発案。
このアイデアが効果的に働き、腕時計サイズは劇的に縮小できましたが、大きな問題を抱えていました。
実際に落とすとモジュールの中の電子部品が必ず一つ壊れるのです。
割れやすい液晶画面を強くするとコイルが切れ、イルを強化すると他の部品が壊れる……
改善を試みようとも全く歯が立たず、一年の歳月を費やし落下回数は二百回を超えました。

開発期限まで残り数か月を切った時、残念ながら九十九%成功しないと思い至りました。
いかに自分を納得させて諦めるか――。

考えた末に、
「二十四時間考え続けて一週間経っても 解決策が浮かばなかったら、 会社にお詫びをして辞表を出す」、そう腹を括って最後の実験に臨んだのです。
睡眠中でも解決策を考えられるように部品を家に持ち帰り、枕の横に置いて寝ました。
しかし、月曜日から始めて土曜日になっても何一つ解決策が思いつきません。日曜日を迎えるのが恐ろしく、懸命に起きていたものの、いつの間にか眠ってしまいました。

日曜日の朝、出勤して自分の荷物をまとめ、辞表を出す準備を進めました。
未練が残っていたので思いつく限りの実験を試みましたが、どれも失敗。

昼食休憩からの帰り道、
「このまま会社に戻りたくない」と思い近所の公園のベンチに腰掛け、子供がボールをついて遊んでいる様子をぼんやりと眺めていました。
「いいな、子供には悩みがなくて」
……そんなことを考えていた矢先、突然そのボールの中に時計のモジュールが浮いているように見えたのです。

時計の中でモジュールが浮いたような状態にすれば、
どんな高さから落としても壊れない! 

そう気づいた瞬間、頭の中で裸電球がピカッと光り、
解決策が閃いたのでした。
他の部品との接触面を極限までなくすことでモジュールを浮いた状態に近づける。
このアイデアを元に翌月曜日、「五段階衝撃吸収構造」をベースに、モジュールを点で支えて浮遊に近い状態をつくり出すことに成功。

この方法で誕生した時計は、何度三階から落としても全く壊れなかったのです。
遂にG-SHOCKは完成し、一九八三年に商品化されたのでした。

振り返れば、「落としても壊れない時計」が実現可能かと考えるよりも先に創作意欲が先行したこと。
絶対に完成させるのだと覚悟を決めて自らを極限状態に追い込んだこと。
その情熱がアイデアを生み出し、開発を成功に導きました。

加えて私を突き動かしたものは、企画書の提出直後に設定した具体的なターゲットの存在でした。
研究所の前で道路工事をしていた五人の作業員が全員腕時計をつけていない姿が目に留まり、危険な作業に携わる方でも安心して使用できる時計をつくろうと考えたのです。
誰かの役に立ちたいという情熱は、私の心を何度も鼓舞してくれました。

薄型時計が主流の時代、発売当初は黒くゴツゴツとした印象のG-SHOCKはなかなか受け入れられず、日の目を見ない時期が続きました。

その中でもG-SHOCKの可能性を信じて製造し続けてくれた会社や、販売に奔走してくれた営業マン、定期的に取り上げてくださったメディアの皆様には感謝しかありません。
アメリカでは耐久性が評価され売れていましたが、一九九〇年代になってようやく逆輸入の形で国内でも売れるようになり、G-SHOCKはタフネス時計の代名詞として確固たるブランドを築きました。

二〇〇八年、五十六歳の時から私は世界各国を回って、G-SHOCKの開発に懸けた思いをスピーチ原稿にまとめ、お客様に現地の母国語で直接お伝えするイベントに参加しています。
今後もG-SHOCKの魅力を伝え続けると共に、例えば宇宙空間でも通用する腕時計など、誰もがアッと驚きワクワクするような企画を考え、
G-SHOCKのさらなる可能性を追求していきます。

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