なぜ言葉が軽くなるのか?どうすれば重みが出るのか?

言葉の重み。

言葉が薄っぺらい人、ペラペラに軽い人がいる一方で、ちょっとした言葉が凄く深く、こちらに沁み込んで来る人がいますが、その差はなんなのか?

その言葉にこもる「これまでの人類の想い、アカシックレコードに潜んでいる記憶」みたいなもの、人類全体のその言葉に対する歴史みたいなものが関係しているんでしょうかね。

【なぜ言葉が軽くなるのか?】

もしあなたが「自分には不似合いだ」と思っている素敵な異性が、あなたの顔を見つめながら唐突に、「あなたのこと愛してる」と言ったとしましょう。

あなたは、素直に信じられるでしょうか?

勿論、それまでの二人の歴史と経緯によりますが、大抵の場合は戸惑いながらも、素直に受け取ろうとしないのではないでしょうか?

また同じ様に、あなたが真顔になって相手の顔を見つめながら「愛してる」と言っても、相手がまともに受け取ってくれる可能性は少ないのではないでしょうか?

もし受け取ってくれたとしたら、あなたは相手に騙されたか、あなたには相手を信じさせる名優になる資質があるか、のどちらかだと思います。

というより、その様なストレートなセリフを、口に出す事自体なかなか難しいのではないでしょうか?

なぜなら「愛してる」等という感情をストレートに表現する言葉を、口に出して相手に伝えるのは、想っている以上に難しい事だからです。

下手をすれば、あなたの口から出た「愛してる」という「言葉」が、言葉自体が持っている「意味の重み」に負けてしまいます。

正確には、あなたの口から出た「アイシテル」という「音」が、「愛してる」という言葉が持っている「意味の重み」に負ける、と言った方が良いかもしれません。

歌で言えば、楽器の伴奏が歌詞の意味に負ける、といった感じです。

例えば、「私は生きます~♪修羅の道を~♪あなたを殺しても~♪」等という演歌調のハードな歌詞に、軽やかなフルートの音色がテンポ良く響く様な感じです。

では、なぜ「愛してる」という言葉には意味の重みがあるのでしょう?

それは陣減が誕生して以来、「愛してる」という感情や言動が長い歴史の中で延々と繰り返され、積み重ねられてきたからであり、その結果、誰もが「愛してる」という言葉の重みを知っているからです。

勿論、あなたも知っている。つまり、意味の重みのある「愛してる」という言葉をデータとして蓄積しているから、余程の重みを感じない限りは、その言葉が本気ではない、「冗談だ」「からかってるんでしょ」等と判断してしまうのです。

俳優も同じです。演劇というものが生まれてから、多くの先輩たちが「愛してる」という言葉に意味の重みを与え続けてきたからです。だから下手をすれば、セリフの意味の重みに、口から出た音が簡単に負けてしまうのです。

その様な場合、俳優に限らず僕たちは「言葉が軽い」等と言っています。

【言葉に重みを出す方法】

あなたの周りにも、言葉が軽い人がいませんか?

その様な人達は話す時に抑揚が無かったり、声高だったり、早口だったりという単純な理由だけで言葉が軽いわけではありません。

俳優が「愛してる」という言葉を上手く言えない場合と同じであり、言葉が軽い人の口から出た言葉は、それが音として空中に響いているだけで、その音を支える「何か」が音の裏側から伝わってこないか、伝わって来ても、限りなくゼロに近いのです。

歌と同じです。グイッと聴かせる歌手の歌は、譜面通りに音程やリズムが取れて声質が気持ちいいだけではありません。歌声という音になった歌詞を支える「何か」を、音と一緒にグイッと出して、聴く者の心を捕らえているのです。

その「何か」が重要であり、その「何か」で「アイシテル」という音を支えなければ、聞く者は、言葉自体に「意味の重み」を感じないのです。

つまり、「言葉が軽くなる」のです。

そうなれば、どうなるのでしょう?決まっています。相手は、あなたの言葉を聞こうとしなくなります。

言葉を意味のない音として聞き流すか、意味だけは理解するが、その意味に関わる「言動」を起こそうとはしない、という事です。

さっきの例で言えば、あなたが誰かに「愛してる」と言っても、あなたがその人を愛しているとは、誰も思わないという事であり、「頑張れ」と言っても、誰も頑張ろうとはしない、という事です。

以上を整理すると、

「言動」として発せられる言葉は「思考」から始まるものであるから、「愛してる」という言葉の出発点は、何らかの理由で愛しているという「思考」であり、その「思考」が「感情」のエネルギーに変換されて、そのエネルギーが「愛してる」という「言動」に辿り着くという事です。

分かって貰えたでしょうか?

言葉を軽くさせない重要な「何か」は、思考から導かれた「感情(のエネルギー)」である、という事が。

あなたの言葉を支えている「感情(のエネルギー)」が、相手の感情に届けば、「愛してる」という言葉を聞いた相手は、あなたの言葉を信じるのであり、あなたの事を好きか嫌いかは別にして、何らかの感情を動かし、何らかの言動を起こそうとするのです。

この様に、愛当ての感情に届く言葉を発せられる人こそが、「言葉に重みがある」と言われ、その様な人物に僕達は感情を動かされ、つい言動を起こしてしまうのです。

結論として、言葉の向こう側に存在する「何か」である感情を、しっかり持つ事さえ出来れば、今までは「言葉が軽い」と言われていた人間でも、重みのある言葉を口にする事が出来るのです。

では実際の問題として、この様な方法で、全ての言葉に重みを出す事が出来るのか?

応えは否です。なぜなら他人に語る言葉の全てが、必ずしも強い感情を必要とするものではないからです。

例えば僕たちは「乗り越えられない壁はないから」等という教訓めいた言葉も発するし、「え、そうなの?」等という単なる問い返し的な言葉も発します。

この場合、「乗り越えられない壁はないから」という言葉は、「愛してる」に代表される様に、あなたの感情を直接的に相手に伝えようとするものではなく、まずは言葉の意味を理解させようとして伝えるものです。

また「え、そうなの?」という言葉も、「相手の言葉を自分が理解していない」か「理解はしているが、自分の考えとは違って釈然としない」という、あなたの意思を相手に伝えようとするものだからです。

それらの言葉も、最後は必ず「感情」という支えに辿り着きますが、これがなかなか曲者であり、それだけでは言葉に重みが増さない場合が多いのです。

では、それらの言葉に重みを増すには、感情以外に何をすれば良いのでしょう?

例として答えれば、「乗り越えられない試練はないから」という教訓めいた言葉に関しては、言葉の裏側に「頑張れよ」等の感情を生じさせる意外にプラスアルファ、その言葉の意味(試練とは人相応に課せられるものである、人が成長するために必要なものである、等という事)を、あなたが理解し、信じ、自分の哲学にしてしまえば良いのです。

あなたがその言葉の意味を理解して信じる事で、「頑張れよ」という相手への感情に、自分がその言葉を「信じている」という感情が上乗せされて、言葉を支えている感情の重みが総合的に増すという事です。

その結果、言葉にも重みが増すのです。

つまり自分の哲学にしなければ、その言葉を「信じている」という重要な感情が薄れてしまい、相手にはその感情を感じ取れないから、言葉の真実性を感じる事が出来ないので、どんなに教訓めいた素晴らしい言葉でも、相手には軽く聞こえてしまうのです。

続いて、「騙しやすさ・騙されやすさ」について。

「騙す」と言うけれど、それは相手が「”信じる”という能動的な行動、選択」をしているという事になるので、受け手(騙される側)が、相手から発している何らかの情報を選び取って「信じる」事を選んでいるんですよね。

そこには「何を信じるか?何に重みを自分が与えているのか?」というその人の人生観、価値観みたいなものが大きく影響しているのだと思うのですが、男女の脳の性差、使い方によって何処に重きを置くか?が違っていて、その違いによって引っ掛かる情報が変わる。

ヒトラーを最初に熱烈に支持したのは女性であったと聞きますが、そういう部分をナチスが上手く利用していたんでしょうね。戦後の日本もそうですが、女性を最初に洗脳してしまえば、支配する側にとって、後は残る男をバカでダメにするのは簡単なのだろうと思います。

【男性と女性、どっちが騙されやすいのか?】

ここまでの結論として、「男性よりも女性の方が騙されやすい」と言えます。

なぜなら女性は、自らが持っている強い感受性で、相手の感情を強く受け取り、相手の歴史と背景よりも、その場の相手の感情を信じてしまうからです。

また「男性は女性より他人を騙すのがヘタだ」と言えます。なぜなら男性は女性よりも、全般的に感受性が劣るため、感情を生じさせて心まで嘘をつく名優になる事が、女性よりも苦手だからです。

つまり女性の方が、心まで嘘をついて感情を真実にする事が得意であり、その結果、「女性も女性に騙されやすい」のですが、「その事を女性自身がよく分かっている」ので、「女性は男性に対するよりも、女性に対して猜疑心が強い」と言えます。

異性という枠を外して考えれば、「不自然ではない歴史と背景を持った感受性の鋭い人間に、心まで嘘をつかれたとしたら、どんな人間でも絶対に騙されてしまう」という事です。

つまり、「この世に騙されない人間はいない」と言えるのです。

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