気の合わない人とでも一緒にいる作法

菅野仁さんの「友だち幻想」を読んで感じたことの続きです。


【「親しさを求める作法」が昔と違う】
 
誰でも、「人と親しくなりたい」、「人と人との繋がりの中で幸せを感じたい」と願うもの。
本質的に人間は、繋がりを求めるものなのです。
 
しかし、現代はそれを求める事によりかえって傷ついたり、人を追い詰めたりする状況に陥る事がある。
どうしてそうなるのか?
 
一つには、「親しさを求める作法」がいまだに「ムラ社会」の時代の伝統的な考え方を引きずっているからではないか。
私達の置かれている状況は依然とはすっかり変わってしまった。ムラ社会的な作法では、家庭や学校、職場において、多様で異質な生活形態や価値観を持った人々が隣り合って暮らしている今の時代にフィットしない面が出て来ている。そろそろ、同質性を前提とする共同体の作法から、自覚的に脱却しなければならない時期だと思います。
 
基本的な発想として、共同体的な凝縮された親しさという関係から離れて、もう少し人と人の距離を丁寧に見詰め直したり、「気の合わない人とでも一緒にいる作法」というものをきちんと考え直した方が良いと思うのです。
 
 

「みんな仲良し」って理想かもしれないけど現実に大人の世界を見たって無理なわけですよね。大人の世界なんて、お互いの思惑や欲望が渦巻いたドロドロな世界だったりするわけじゃないですか、実際は。それを子供にだけ、理想的な世界を強要するってムチャでしかない。

出来もしない理想世界を押しつけるのではなくて、もっと現実的な、そして社会に出てから本当に役立つ人間関係の作り方を教えてあげる方が大事やと思います。それがこの本に書かれている「気の合わない、別に仲が良くない人達と一緒に居られる能力、揉めずに静かに過ごせる関係を作る能力」だと思うし、この能力を若い内からもっと身に付けておく教育が必要なんじゃないかなと思います。

学校教育の中では、仕方なのないっ分もあるのかなとは思いますが、「みんな仲良く」という事を言い過ぎる。だから、それが出来ない事に対して罪悪感を感じたり、自分の心を必要以上に醜く感じてしまったりしてしまう。特に感受性の強い子ほど。

他人なんてどうでもいい、という子なら、気に入らない子をいじめたり、仲間外れにしても、別に罪悪感なんて感じませんしね。

真面目な子の方が悩んでしまう、追い詰められてしまう、という部分についてよく考えた方がいいと思うんですよね。

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