「やむを得ない」のが本物だ②

続き

今の若い人は、すぐに評価をして欲しがる傾向がある。四月に入社したらすぐにでも褒められたい。それはいくら何でも焦り過ぎだ。

まだ種か双葉の内に咲こうとしても、きれいな花を咲かせられるはずがない。
評価して欲しいという焦りの気持ちがある人は、
「自分が本当にやむを得ない時期に来ているのか」、
それまでに「ちゃんと土の中で自分を育んできたのか」、
この言葉を口にする事で自分に問いかけてみて欲しい。

こうした「やむを得ない」ものを追っていると、それは自然と正しいものになる。


一斎はこうも言っている。

雲は自然の成り行きでやむを得ずして集まり生じ、風や雨も同様に!やむを得ずに天上から漏れて来るし、雷も同様にやむを得ずに響き渡る。
これらを見て、至誠の作用を考えるがよい。


齋藤孝(明治大学教授)

「かくすれば、かくなるものと知りながら、
やむにやまれぬ大和魂」
という吉田松陰の名言がありますが(吉田松陰が本当に今、伝わっている様な偉大な人物であったかどうかは置いておいて)、
本当にそんな感じで、自分の上っ面の心から出ているものではない、そんな表層の部分ではないもっとずっと奥にある魂から湧き上がって来る様な想いが出てきた時こそ、人が土の中から出ていく時なんでしょうね。

昔の人は自然と調和して暮らしていたから、新しく芽吹いてくる新芽やセミの幼虫がいよいよ羽化のために出てくる時の生命の力といったものを、現代人とは比べものにならない位によく感じ取っていたんやろうなあと思います。

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