「やむを得ない」のが本物だ③

私は、やむを得ないというと思い出す話がある。
それは宮沢賢治の「学者アラムハラドの見た着物」という短編。

アラムハラドは学者で、十一人の子供達を教えていた。彼は火や水、小鳥など自然のものの性質を説明した上で子供達に問い掛ける。
「人が何としてもさうしないでゐられない事は一体どういふ事だらう」
するとある生徒が、「いいこと」をする事だと思いますと答える。
アラムハラド響き渡る自分が期待していた答えが出て満足する。
ふと見ると、セララバアドという子が何か言いたそうにしている事に気付く。セララバアドは言う。
「人はほんたうのいゝことが何だかを考へないでゐられないと思ひます」
この答えはアラムハラドの予想を超えるもので、彼は軽いめまいすら感じたのでした。

この様に「やむを得ないもの」という観点があると、自分の行動の基準が見えてくる。なぜなら、自分にとっての「やむを得ないもの」を知る事は、自分の無意識を知る事でもあるからです。

自分の無意識を知り、無意識と仲良くなるのはとても大事なこと。

自分の無意識に気付かないまま欲求に蓋をしてしまうと、中で混乱が起き自分でも訳が分からないまま苦しむ事になってしまうからです。

無意識と上手く付き合うためには、きちんと無意識と対話する事が必要。そして、そのためには、自分はどんな思いに突き動かされているのか、無意識から生じる「やむを得ないもの」に意識を向ける事が必要なのです。

自分にとってやむを得ないものは何かという事を見ていくと自分の行動の中の無駄なものが削ぎ落とされていく。

そして、本当にやりたい事だけが残るので、生活がシンプルになるだけでなく、ストレスまでも軽減されるのです。

齋藤孝(明治大学教授)

無意識との会話。無意識とは「内なる自分・本当の自分」、「真我」のこと。

自分の内側に住んでいる神様。


その内なる自分が、この世で自分がなすべき事を命じている。それが、この文章で齋藤孝さんが書かれている「やむを得ないもの」ですよね。
それに抵抗するのが、自我・エゴ。人は一生、この「自我」に苦しめられるけれど、途中で「真我」に気付いた人が、「自我と真我の調和」に成功して、この苦しみから解放されていく。


人の一生は、この自我の暴走との闘いで、それを如何にコントロール出来るか?、それを真我と調和させて、その支配下におけるか?なんでしょうね。そして、本当はそれはそんなに難しい事ではなくて、人間が動物らしく、自然の中であらゆるものと調和して本来の生き方をしていれば自然と悟るものであったんだろうなと思います。

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