教えて教わる

「意識がどこを向いているのか?」がその人の伸び代を決める。フィジカルトレーニングの指導でも、武道や格闘技の指導でも、それをいつも感じます。その人の意識に入っていないものは、どれだけこちらが教えても、当人には「見えない」から「入り様がない」んですよね。

当人が怠けているわけではない。意識がそこへ向かっていないから、見えないだけ。

昔から、「心の目」とか「観の目」といわれるもの。これが無いと、目の前で見せても分からない。日本語で話しているのに、全く通じない。同じ場にいても、それが一瞬で通じる者と全く通じない者が出てしまう。通じない人間には、いくら親切丁寧に教えても伝わらない。

この日は幸いにして、それがスッと通じる者やったから、こちらもストレスなく指導出来ました。阿吽の呼吸とか、「ツーと言えばカー」とか、そんな感じ。

自分が教える時にこういった事を日々感じるから、自分が教わる立場の時、今の僕の場合でいうと、ブラジリアン柔術とか野菜作りを教わる時には、そこを凄く意識する。修行時代、先生や先輩から「自分が後輩を教えないと、本当に分かる様にはならない」とよく言われましたが、本当にそう思います。

相手の言わんとしている事を、自分は理解しているのか?

相手の波長にきちんと合わせようとしているのか?

「教えて教わる」ってこういう事やんな~、と体で知る事が出来るのは幸せな事やなあと思います。

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