危機感や嫌悪感

人間の心=感情は、魂という部分をとりあえず抜いて考えると、脳が担当しているという事になると思います。一般的に受け入れられるのは、魂ではなく脳になりますよね。

脳はその生物が生き残っていくために必要な機能備えていて、危機感や嫌悪感という感情もそのためにセットされている。

脳に関する本は色々読むけど、脳科学者の中野信子さんの本に「嫌いという感情は、必要なもの」と書かれていました。確か、「経験で嫌いになるもの」と「生まれつき、生理的に嫌うもの」の二つがあり、それぞれそれを判断する脳の部位が違うと書いてあった様に思います。

脳は、あらゆる事を、「快・不快」で判断し、不快を避け快の方へ向かう。「生き残る」ために必要な事を、快と感じる様に出来ているって事ですよね。

その直感をしっかりと感じる力さえあれば、本来人間は幸せに生きるのは難しくないのだと思います。

鳥居は神様の世界への入り口なんですよね。

そのはずなのに、今の社会で人が幸せになりにくいのは、「社会で規定されているルール」が、「人間の脳にセットされている=神様が決めた本来のルール」と、一致しない、ズレているからなのだと思う。

天地自然の理、「自然界・地球のルール」に従わない人間界のルールを勝手に設定して生きている人間という生き物は、この地球上に生きる動物として、もうその時点で存在が許されないい生き物になっていると言ってもいいと思う。

反対に、今の人類が作っているルール、社会システムをおかしいと考える人、それに自分は馴染めないと思っている人。資本主義社会の優勝劣敗が行き過ぎた状態に、生物として危機感や嫌悪感を感じる人。

それを感じる人の方が、よほど正常なんじゃないかと思う。

自分達が住まわせて頂いているこの地球を汚し、破壊しながら、贅沢三昧で傲慢な生き方を正しいとか楽しいと感じられる感覚は、もう既に脳が狂っているのだと思うんですよね。

そういった社会システムを作っている人、それを肯定している大企業、行き過ぎた競争や誰かを攻撃し叩き潰す様な生き方や物言いを是とする人々。

それらに対しては、僕はもの凄く嫌悪感を感じるけれど、それは自分の中にある動物的な感覚が教えてくれているんじゃないか。この生理的な嫌悪感、動物的な危機感を感じなくなったら、人間はもう終わりなんじゃないか。

畑仕事とか、素朴な生活に惹かれるのも、脳の原始的な部分がそちらの方向へ向かう事を求めている様に感じています。

今年は、この方向へ進んでいく事にもっと力を入れていきたい。生理的に嫌悪感を感じる世界から、少しずつ抜け出していきたいなと思います。

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