読み書き、算盤
いつか作りたい「私塾作り」の構想があり、その準備のために そろばんの勉強を始めました。
毎日、少しずつノルマを決めてやっているのですが、なかなか難しい。子供用の教材でやっているので、頭で分かってしまうからそろばんを使わず先に頭で計算しってしまったりする。
それでは指のトレーニングにならないし、視覚を使って読んでいく右脳のトレーニングにならないから、意味がないんですけど、「無意識に正解を求めてしまう」という現代人の脳のクセになっている事に気付かされます。
昔、小学校の頃の同級生でそろばんを習ってた友達が、「計算する時、頭は全く使ってへんで。脳の中でそろばんの玉が勝手に動いてるねん。それで出た答えを見て、最後にそれを読んでるだけ」という言葉を聞いて、物凄く衝撃を受けた事があったんですよね。
「何や、それ!スゴイな!」と思って。
「いつかその境地を自分でも体験してみたい」と思っていて、武道や格闘技の修行時代も、フィジカルトレーニングやメンタルトレーニングを学んでいる過程でも、その後、宗教やスピリチュアル系の学びをしている時も、ずっとずっと「いつかそろばんを使って、脳内のイメージで玉を動かす」という経験は積んでおきたいという想いがありました。
実際にやってみると、指の動かし方や算盤・鉛筆の持ち方にも決まりがあり、なかなか難しいのですが、自分の脳に今までとは異なった刺激を入れて成長させるのは楽しみでもあります。
「イメージする力を通して右脳教育」、「計算という理論・理屈を通して左脳教育」の両方が出来るそろばんは、昔の人が本当に意味で賢かった理由の大きな一因ではないかと思っているのです。
それは、「読み書き・書道」といったものも、同じだと思うんですよね。
書道は数年間、素人レベルですが先生について教わって、非常に学ぶものが大きかったです。週一回なので、書道そのものは大して上手くはならなかったですが、身体操作という意味では非常にためになりました。
「身体を通して学ぶ」という事の意味、その重要性、深さをより一層伝えていける人間になりたいなと思っています。
何より、学ぶって楽しいですしね~。
ただ、家でじっくりやってる時間がないので、算盤を持ち歩いていて、移動の合間にお店でお茶を飲みながらやるのですが、ええ大人がそろばんを出してカチャカチャやってると、周囲の人が異様なものを見る目で見て来るのがちょっと(いや、かなりかな?)恥ずかしい。
みんながパソコンやスマホを操作しているこのデジタル時代に、そろばんって・・・、「こいつ、何なん?どんだけアナログやねん」って感じの視線を感じます(笑)
マスクせずに出歩くのは全く平気なんですけど、こっちの方が恥ずかしいかも?
最初に机に出して、並べる瞬間がまだちょっと恥ずかしくて、メンタルまだまだショボいな~と思っています。
集中し出すと大丈夫なんですけどね。