「えこひいき」される人間になる

凄く考えさせられる記事を読みました。

上司は「気に入った部下」だけ育てればいい。 | Books&Apps (tinect.jp)

斎藤一人さんの「商売人は、エコひいきされないとダメ」という教えを思い出しました。

松下幸之助さんの「素直」が一番大切という教えも同じ。

昔はよく「人間は可愛がられんとアカンのや」という教えを言いましたけど、結局、大切な事はいつの時代も何処の場所でも一緒やな~と思います

以下、紹介します。

上司は「気に入った部下」だけ育てればいい。
マネジメント部下のマネジメント部下の教育
安達 裕哉2022/7/7

コンサルティング会社に在籍していたときのこと。
ある時期私は、「人材育成」をテーマにしていました。
企業内研修や教育プログラムを企業向けに売っていたのです。
その中で、私の人材育成観にたいして大きな影響のあった話がいくつかあります。
これはその一つです。

上司は「気に入った部下」だけ育てればいい。

それがタイトルにもある、上司は「気に入った部下」だけ育てればいい、という経営者の話です。
実は私はそれまで、「上司は、部下に対して贔屓をしてはならない、あるいは極力フラットに接する」という考え方でした。
具体的には、

・スキルアップ・教育研修の機会は出来得る限り平等に与える
・昇進・昇格の機会も、可能な限り均等にする
ということになるでしょうか。

もちろん、研修や教育についても同様で、私は、社員研修の対象者を「社員全員」とすることを当然のことと考えていました。
これは、研修を売る身として、できる限り研修の対象者を広げたほうが儲かる、という側面もあったと思います。

しかし、あるとき私が訪問したソフトウェア開発会社の経営者は、私の話を真正面から否定しました。

「全員を研修の対象とはしたくないんだよね。対象者を上司が選ぶことは可能ですか?」と。

私は、「研修の対象者は全員」だと頭から信じていたので、この意見には驚きました。
そして、「この経営者はもしかしたら、値引き交渉をしたいのでは」と思ったほどです。

そこで私は、
「企業内研修であれば、金額は、全員受けても、一部の方々だけにしても、さほど変わりませんが」と、ご案内しました。

すると経営者は首を振りました。
「いやいや、そういう話じゃなくて。そもそも研修なんか受けても無意味なやつがたくさんいるから。」
というのです。

「どういうことでしょう?」

「学ぶ意欲があって、素直なやつだけを育成対象にしたいんだよね。」

「……というと?」

「上司にとっては、育てたいやつと、どうでもいいやつがいて、どうでもいいやつにわざわざ教育を施すなんて、無駄でしょう?」

私はようやく、彼の言っていることを理解しました。
要するに、「上司は育てたいやつだけ育てればいいのだ」と言っているのだと。


直感的には「間違っているのでは」とその時点では感じたのですが、この会社の業績は非常によく、かつ技術力も高いとの評判だったので、
「ひょっとしたら、私が間違っているのかもしれない」と思い、詳しくこの経営者の話を聞きたくなりました。

「なぜそう思うのでしょうか?」

「部下の教育の目的は、会社の業績を向上させることですから。教育のコストの本質は、研修ではなく、「上司の時間」なんです。それが限られている以上、「平等にコストを掛ける」なんてことは不合理で、上司の言うことに対して素直で、意欲があるやつに集中的に時間を投下したほうがいい。」

「なるほど……。」

「もっと言えば、上司が「時間を投下する価値がある」と見込んだ人間や、「気に入った」と思った人間だけを育てればいいわけです。それなら上司の教えようという意欲も保てる。」

「しかし、それだと公平感に問題は出ないでしょうか。」

「税金などの公費で運営されている学校であれば、公平感は重要でしょう。しかしここは企業です。費用は会社持ちです。業績さえよければ文句を言われる筋合いはない。そもそも、個人だってそうしているじゃないですか?」

「といいますと?」

「他人ではなく我が子を優先する、脈のありそうな異性にアプローチする、家族の中で最も賢い子に優先的に教育費をかける、素直な子を可愛がる、何でも費用対効果ですよ。意識、無意識に関わらず、みんなやってるでしょう?」

「そうかも知れませんが、社員は我が子みたいなものでは?」

「そんなわけ無いでしょう。社員とは「契約」でつながっているだけです。その中に「目をかけてあげたい」という人が一部存在するだけです。そもそも現場だと、逆に「素直じゃないやつ」に、「育てたいやつ」より、むしろ多くの時間をかけないといけないくらいです。上司が説得したり、納得感を作ったりとね。そんな時間があるなら、芽のある人間にその時間を使うほうがいい。」

彼の言い方は、多少癇に障るところがありましたが、主張はまっとうで、「みんな、我が子を優先する」というくだりにも、納得感がありました。

それ以来、私は「一律にチャンスを与える」という考えを改めました。
一個人、一私企業である以上、チャンスは、目をかけたい人だけに与えればいい、それが世の本質だと。

その結果、研修を売るときに「対象者をどうしましょう?」と聞かれたら、「対象者は経営者、もしくは上司が念入りに選定してください。可能なら素直な人、意欲のある人だけを出席させてください」とアドバイスするようになりました。


すると、副次的に「参加者を絞り込むことで、研修が盛り上がる」という効果もありました。
素直で意欲のある人達だけで固めると、冷笑的で意欲に欠ける人たちによる妨害がなくなるので、研修の質も成果も向上したのです。



理想としては、「全社員にスキルアップの機会を与えたい」というのが、経営者や上司の本音であると私は思っています。

ただ、分配できるリソースは無限ではないし、経営者や上司にも、彼らの好みや理想、そして生活があります。
現実的な落とし所を探った結果として、このようになっているのだと思います。

そして、これを逆からみれば「その会社でスキルアップを目指している」のであれば、経営者や上司に対して、意欲を見せたり、素直であったりと、かれらの「育成対象」に入る努力をせねばならない、ということです。

若手や、転職者は、こうした現実を受け入れて、適応せねばならないのかもしれません。

昔の教育や師弟関係は、こういうのって当たり前の感覚で、「弟子入り」とかはもう本当にそういう感じでしたよね。

師匠の気持ちを察し、お気に入りの物や好きそうな店を把握するとか。

いつの間にか、教育がサービス業になり、教わる方がふんぞり返っている様な、教える方が教わる方に媚びる様な風潮が生まれてきて、今やそれが当たり前になった感さえありますよね。

そして増えたのが、もうとっくに社会に出ているのに、いつまでも学校に居る気分、学生気分のまんまの人達。

でも、そういう姿勢で生きていると、社会では生き残っていけなくなる。

「仕事をする、つまりサービスを提供する側にいる」にも関わらず、「サービスを受ける姿勢でいる人間」はこうやって「切り捨てられる側」にまわるだけ。世の中って厳しくて、「察する能力」のない人間は容赦なく、しかも何も言わずに無言で切り捨てられる。

人間の心情といった目には目いないものを察する力、どこまで甘えていいのか?といった距離感を探る能力。

こういうものを社会に出るまでにきちんと教えてあげる事は、厳しいのではなく本当の優しさであり、愛情だと思います。

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