無意識の書き換え作業

人は自分の顕在意識で動いているつもりで、実際は潜在意識やさらに奥にある深層意識といったものにコントロールされている。

ある意味、自動で動いているというか、潜在意識あ深層意識によって動かされている自動操縦のロボットの様なもの。

でも、この潜在意識や深層意識を自分の意識によって、少しずつ書き換えていく事が出来る。

それを行うのが、昔ながらの「稽古」と言われるもの。

「練習」ではそれが出来ない。本人が練習と思っていても自分の意識が無意識の領域へ入っていけば、それは稽古となっているので出来るけれど。

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【二つの無意識が人をコントロールしている】

「生まれながらにして、個人がどの様な集合体に所属しているのか?」という「“群れの一員”としての意識」。

心理学者のユングが提唱する、ここの人生の中で忘れ去られた「個人的無意識」と対を成す、人間が生まれながらにして備えている「無意識」とされている。

自国を愛する心、ナショナリズムが最も分かりやすい例。

「サッカーワールドカップ」が開催される度に、普段は差サッカーに興味がない人でも朝早くからパブリックビューイングで日本代表を応援したりする。高校野球でも地元の代表校を真っ先に応援する心理も同じ。

上京した人間が、故郷へ帰り方言を聞くとホッとする。東京で暮らす関西人が実家で薄味の料理を食べると心が安らぐ。これらの郷愁や愛郷心なども、自我とは別のところで働く無意識と言える。

その普遍的無意識と対をなすのが、「個人的無意識」。

普遍的無意識が「生まれながらの環境によって形成されているもの」なら、個人的無意識は「物心がつく様になってから自分が背負うもの」となる。

自我が芽生える様になってから小学校に入学する辺りが「第一思春期」、中学校に進学する辺りが「第二思春期」、高校から大学などへ進む辺りが「第三思春期」。

それらを経て、それぞれの個人的無意識が構築されていく。

佐山聡

(総合格闘技 修斗・制圏道 創始者)

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何かを本当に身に付けたい、自分の心を成長させたいと思ったら、この領域へ入る修行が必要ですが、今の社会はそこへは目が向かない、意識が向かない様に設定されていますね。

稽古をし、自分の潜在意識へと入っていくと、それまで「自分」と認識していた殻を破る事が出来る様になっていく。

「型破り」な人間になる。

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