刺激から距離を取る

大愚和尚のいい記事を読んだので紹介します。

僧侶がインドを旅して気づいた「定年後の孤独」に陥らない人の特徴

人と情報が溢れ過ぎた時代には、凡人はあえて人や情報から離れ、自分の内面としっかりと向き合う時間が必要なのだと思います。

孤独の中で、自分が本当に大切にしたいもの、人生の中で譲れない価値観を見極める。それは後々、自分の人生を支えてくれるものになると思う。

以下、一部を抜粋して紹介します。

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お坊さんが修行で山に籠るワケ

強い刺激から心を守るにはどうすればいいのでしょうか。それには、自分から物理的に距離を取るしかありません。テレビやSNSなどをあえて見ない時間を作ることです。
お坊さんがなぜ山の中で修行するのか考えてみてください。決して意志が強いからではありません。その逆で、意志が弱いからなのです。
意志が強ければ、渋谷のセンター街のような雑踏で修行をすることもできるはずですが、お坊さんとてそういう場所では自分の心がかき乱されるので、刺激を避けて山の中にこもるわけです。
私が住職を務める福厳寺の修行僧も、「スマートフォンを取り上げられて、自分が世間から取り残される恐怖を感じた」と口々に言います。
ところがその状況に慣れてくると、外からの膨大な情報、しかも自分の人生にあまり関係のない情報にいちいち反応させられていたことに気づくのです。
実際に修行僧たちは、ワールドカップでの日本の活躍も知りませんでした。ただ言えることは、それらの情報を知らなくても自分の人生には問題ない、ということです。

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「弱いから」というのは本当にその通りですよね。

自分の弱さを知っているから、独学ではなく学校や塾や何かの教室、道場へ通う。

一人で全てが分かり、出来る程の能力があれば、家でYouTubeや本で何でも身に付いてしまうわけで。合宿とか強化練習みたいなものに参加するのも同じ。俗世間から隔離された環境の中にあえて自分を放り込む事で逃げられない状況へと追い込んでしまう。

自分の自由に出来る環境で苦しい稽古や学びをやり通せる人間ってほとんど居ないと思うんですよね、特に経験の浅い若い時期には。

写真はサイトより頂きました。https://taigu-gensho.com/

自分の役割を自分で見つけること

Q4.社内の人間関係しか築いてこなかったので、「定年後の孤独」が不安です。

私たちは、自分の人生を自分の選択で生きていません。特に先進国ではそれが顕著で、私たちはシステムの中に自動的に取り込まれています。

どういうことかというと、私たちが生まれてある程度の年齢になると、保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校に通い、そのあとに大学に進学したり、就職したりします。その枠の中で選択しているように見えますが、学校があるから学校に行き、宿題が出るから宿題をするのであって、本当の意味で自分で選択しているわけではありません。

遊びですらそうです。ゲーム会社が作ったゲームを楽しんでいる。企業が作った流行に知らないうちに乗っかって生きているだけで、実は楽しみながら搾取されているのが現実です。

どんなに小さなことでも、自分で選んで、決めて、それを自分の責任において行なう、という毎日を過ごしていないのです。

おそらく皆さんも、「1年間仕事をしなくていいよ」と言われたら、最初のうちこそ楽しいかもしれませんが、そのうち「これからどうしよう?」と不安に襲われるはずです。その状況に、好奇心や体力が落ちてきた定年後に陥ると悲劇ですよね。

では、どうすればいいのか。「自分の役割や、やりたいことを自分で見つけて生きる」という練習をしていくことです。

私は僧侶になる前に、インドから日本に至るまでの仏教伝道ルートを3年かけて旅をしました。インドで出会ったおじいさんが、まさに「自分の選択で自分の人生を生きる」お手本のような生き方をされていましたので、そのお話をしたいと思います。

そのおじいさんは、貧しい村の外れの道路の脇に座っておられました。私がその村にいた2週間ほど、朝から晩までずっとです。不思議に思って村の人に聞くと、「あのおじいさんは自分の仕事をしている」と言うのです。

インドの田舎道は道路が舗装されておらず、しかも、往来する車は常に過積載です。未舗装の道にはわだち(通った車が道に残した車輪の跡)ができるので、車が頻繁にひっくり返って荷物が道に散乱してしまいます。 

そこで、車が横転しないように、おじいさんが道路にできたわだちを毎日埋めていたのです。誰かに頼まれたわけでも、報酬をもらっているわけでもありません。それを自分の役割だと自分で決めて、10年以上も続けているというのです。

このおじいさんは、決して孤独ではないと思います。なぜなら、ベクトルが自分の内側の寂しさではなく、他の人たちをサポートする喜びに向いているからです。自分になすべきことがある状態が、一番力になります。

定年を機にシステムの中での役割を終えたら、自分で自分の役割を見つけていってはどうでしょうか。50年、60年の人生経験の中には、もう少しこうなったらいいな、と思うこともあったはずです。

自分や自分の家族のためだけでなく、地域や社会に対して自分ができることはないだろうか。そういう視点で世間を見てみると、そこにやらせていただけることはたくさんあると思いますよ。

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居場所を求めるのが、人間という生き物。

そこに行けば、自分が認められ、必要とされる場所。それがあるだけで人は良きる意味を感じ、幸福感を感じられる。

脳内の作用で言えば、オキシトシンという他者とのコミュニケーションによって分泌されるホルモンと何かをやる楽しさを感じさせるドーパミンといったホルモンの作用になりますが、人間という生き物になぜそれが本能的にセットされているのか?を考えると、そういう関係性を持たないと生きてい行けない生物だから、という事になりますよね。

肉体的、精神的な部分の両面において、人が生きて行く上で「必要なもの」に快感を感じるように仕組まれている。美味しさ、気持ちよさ、喜びや充実感など。

現代社会では、人工的・意図的に人の脳を狂わせる様な食品や娯楽が作られているので、それは警戒する必要がありますが、基本的には自分の心や体が求める本質的なものを追いかけて行けば、人は幸せになれる生き物なのだと思います。

一時的な快楽、享楽的な楽しみに騙されない用心深さだけは備えた上で。

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