無欲・無我とは

無欲の勝利、成果なんでしょうかね~。

凄く考えさせられる記事でした。

「競艇選手になるためにプロボクサーになった」世界王者・寺地拳四朗のモチベーション。高校インターハイ決勝で井上尚弥に負けてうれしかった理由とは…

ほとんど人に話した事がないんですけど、僕は彼のお父さんのジムでトレーナーをしていたので彼にボクシングの指導をしていたんですよね、この記事にある中学三年生の進路決定の時に。

僕だけではなくて他のトレーナーもしてるんですけど。

「それまではソフトテニス部でしたし、自信もモチベーションもクソもない(笑)。高校入学せえへんかったら、アメリカにいるお父さんの知り合いの飲食店で働け言われてたんですけど、そんなん一人で行くの怖いじゃないですか。だから『高校行けるし、ボクシングやってもええか』くらいの気持ちで、お父さんのジムで練習を始めました」


「高校と大学時代に一度ずつボートレーサー養成所の試験に落ちたんですよ。大学2年のときに受験したときは、『受かったら大学辞めたろ』って思てたんですけど、不合格になって。

かといってスポーツ推薦なんで、ボクシング部辞めたら大学も辞めなあかんかったし。せっかく大学に入ったし、もったいないんで卒業までとりあえず続けて、それからまた競艇選手の道を目指そうと」


「でも、まだ競艇選手になる夢はあきらめてなかったですから。就活はいっさいやってません。ボクシングの日本ランカー5位以内になったら、競艇学校の推薦がもらえるんですよ。だから大学卒業後はとりあえずプロボクサーになってランカーになって、それから競艇選手になろうと」

本当にこの記事通り、その頃の彼は全くボクシングに対する思い入れがない子で、「仕方なくやってる感」が満載(笑)

こっちもお父さんに頼まれてるから、一生懸命に指導するんですけど、ミット打ちやってても「しんどい、やめたい」という顔をするので、物凄くやりにくい(笑)

こっちも精神的に疲れてしまって、ちょっと仕方なくやってる感じになってましたね。会長の息子さんなんで、やっぱり凄く気を遣うし。

本人と話していても、「別にボクシングは好きじゃない」って言うし、これで高校にボクシングで行ったら可哀想やな~と思ってたので、後にプロになって活躍して世界チャンピオンにまで登り詰めたのには本当にビックリしました。

よく「結果を出すクセを付ける」には、「成果を試す機会が多い事が大切」と言ったりします。成果を試す場が少ないと、その機会にどうしても緊張してしまう。機会が腐るほどあれば、その一回に思入れも少なくなり、大して緊張もしないから、リラックスして挑めるのだ、と。

このボクシングに対する「執着の無さ・思い入れの無さ」が彼の武器だったのかもしれないなと感じました。

勿論、いい環境で質のいいトレーニングをし、彼がその中で最大限の努力をしていたからこそ、ではありますが、それでも心の中にある「本当の目的、最終目標は競艇選手なんや」という想いが、いい意味でボクシングの試合に対する執着や緊張感を無くさせる効果を持っていたのかもしれない。

自分自身の経験でも、色んな選手への指導でも「思い入れの強さ・執着が逆効果になる」というのは思い知らされているんですよね。「あれだけ練習してきたんだ。何が何でも勝たなければ!」「絶対に負けられない!」という気持ちは、その裏側にある「負けたらどうしよう」といったネガティブなものを引き出してしまう。

プラス思考を意識する時点で、人は同時にマイナスを意識する事から逃れる事出来ない。

プラスとマイナスという存在はセットになっている、という事をメンタルの勉強をして頭では分かっているのだけれど、そのマイナスだけをカットする事は出来ないんですよね、陰陽一体だから。

昔から、宗教で言われる「無我」や「執着を捨てろ」というのは、こういう事なんですよね。欲しければ欲しいほど、それに対する執着を捨てる必要がある。

執着はその裏にある、「失敗したらどうしよう」というマイナスの想念を引き寄せてしまうから。

「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」で、この世の全てはポジティブとネガティブのセットであり、自分の想いがどちらかに傾き過ぎると、逆に反対側にあるものを呼び寄せる。

何かに取り組む時には、陰陽で言う「陰」の部分=「自分の潜在意識に潜むもの」にこそ、注意が必要なのだと思います。

調和が取れて、ニュートラル状態。昔から日本人大切にしてきた自然体である事。

何か色々、考えさせられる記事でした。

今日は一日、ずっとこのテーマを潜在意識下で考える事になると思うなあ。

以下、全文を転載

「競艇選手になるためにプロボクサーになった」世界王者・寺地拳四朗のモチベーション。高校インターハイ決勝で井上尚弥に負けてうれしかった理由とは…

40 分

日本ボクシング界を代表する世界王者・寺地拳四朗。2団体王者の絶対的強さを誇る拳四朗の次戦が9月18日に行われる。「ボクシングは好きではなかった」といつものように屈託のない笑顔で話す彼のボクシング人生について聞いた。(前後編の前編)

#2

「行ける高校がない」と面談で言われてボクシングを始める

作家・稲垣足穂に「花を愛するのに植物学は不要である」という言葉がある。

では逆に、「植物学を追究するために花への愛は不要」は成立するのか。追求の対象が肉体を酷使するボクシングなら、やっぱり競技愛がなければ無理じゃないか。

寺地拳四朗(以降拳四朗)の話を聞いていてそんな疑問が浮かんだ。

「いや、ボクシングは別に好きではなかったっすよ。世界チャンピオンになったときも。仕事やしと思ってました」

拳四朗がボクシングを始めたきっかけは中学3年の夏、三者面談のあとだった。

「僕、勉強が全然でけへんかったんで、進路面談のときに一般入試ではどこも無理やと言われたんですよ。で、お父さんのツテで奈良朱雀高校の高見(公明。1984年ロサンゼルス五輪バンタム級日本代表)先生に話を通して、ボクシング推薦で奈良朱雀高校に入学できることになったんすよ」

「スポーツ推薦枠」と聞くと、全国や地域大会での入賞経験者などが対象となるイメージがある。しかし拳四朗の場合は、この面談のあとで、高校に入学するために初めてボクシングを始めた。しかも元日本と東洋太平洋王者でボクシングジムの代表を務める父を持ちながら、「ボクシングには一切興味がなかった」とあっけらかんと話す。

練習中以外は終始リラックスした表情を見せる拳四朗© 集英社オンライン 提供

「それまではソフトテニス部でしたし、自信もモチベーションもクソもない(笑)。高校入学せえへんかったら、アメリカにいるお父さんの知り合いの飲食店で働け言われてたんですけど、そんなん一人で行くの怖いじゃないですか。だから『高校行けるし、ボクシングやってもええか』くらいの気持ちで、お父さんのジムで練習を始めました」

井上尚弥とインハイ決勝で対決

高校のボクシング部で指導を受けた高見先生は、のちに2016年リオデジャネイロ五輪ボクシング日本代表監督も務めた、業界では厳しいことで有名な「先生」である。拳四朗は怖くて、練習についていくのに必死だった。

だが、推薦で入学した以上、ボクシングをやめるという選択肢はない。練習の成果が実り、高校3年の時はインターハイ決勝まで進んだ。決勝の相手は2学年下の井上尚弥だった。

高校時代の2009年8月3日、井上尚弥とインターハイモスキート級決勝で対戦。結果は井上尚弥(左)のRSC勝ち(写真提供:高尾啓介)© 集英社オンライン 提供

「普通に強かったっすよ。負けたんですけど、ただ、ほとんどそのころのこと覚えてないんですよ。もちろん悔しさもあったっすけど、そもそも好きじゃなくて部活としてやっているし。シリーズ累計1500万部突破

シリーズ累計1500万部突破

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あとアマチュアのときは勝ち続けると連日減量なんで、その時は『ああ減量終わったー!』って喜びのほうがめっちゃ強かったっすね」

ボクシング部では模範生だったのか、高校3年のときは主将も務めている。しかし拳四朗は、「僕、なんもしてないっすよ」と言う。

「だいたい副主将が、主将の仕事をする係で。先生に怒られるのも副主将(笑)。僕はボクシングだけやって…」

強くて自由な先輩として、後輩に慕われたりとかはなかった?

「ないっす。聞かれたらちゃんとアドバイスはしてましたけど。逆に叱ったこととか1回もないっすね。別に練習やらへんのやったら、俺に関係ないしって(笑)。そいつのモチベーションしだいじゃないですか、あんまそのへん興味なかったっすね」

どうして主将を任されたのでしょうか?

「なんでやろ。全然やりたくなかったっす。でも、自分はボクシングの成績だけはよかったんすよ。それでみんな言うこと聞いてくれたんかなあ、どうやろ……みんなどうやってモチベーション保ってたんやろう」

そう話す拳四朗の表情は、本当に不思議そうだ。

競艇選手を目指してプロボクサーに

高校でボクシングをやめるつもりだったが、大学もスポーツ推薦で声がかかり、関西大学のボクシング部に入部する。

あいかわらずボクシングにはまったく興味を持つことができない一方で、将来の夢が別にあった。従兄弟が競艇選手をしていたことで、自分も体が小さくて適性があると思ったこと、高収入であること、選手生命が長いことなど、話を聞いているうちに目指してみたいと思った。

「高校と大学時代に一度ずつボートレーサー養成所の試験に落ちたんですよ。大学2年のときに受験したときは、『受かったら大学辞めたろ』って思てたんですけど、不合格になって。

かといってスポーツ推薦なんで、ボクシング部辞めたら大学も辞めなあかんかったし。せっかく大学に入ったし、もったいないんで卒業までとりあえず続けて、それからまた競艇選手の道を目指そうと」

キャンパスライフはボクシング漬けだった。単位は「周りの人に支えてもらいながら」なんとか取得した。「こいつら好きなもん食えてええなあ」と他の学生を見てうらやましく思うこともあった。

「単なる部活ですから」と言いつつ、彼の端倪すべからざるところは、どんどん成果をあげていくところだ。在学時は3度の関西リーグ優勝に貢献し、大学4年のときに出場した国体でも団体の部で優勝。井上尚弥のプロ転向後、同階級で五輪代表候補と目されていた柏崎刀翔選手には及ばなかったが、世界選手権の日本代表選考会や全日本選手権でアマチュアボクシング界のトップを争う存在となっていた。

大学4年生、全日本選手権準優勝のとき。右が拳四朗、左が父の永さん(写真提供:B.M.Bボクシングジム)© 集英社オンライン 提供

「でも、まだ競艇選手になる夢はあきらめてなかったですから。就活はいっさいやってません。ボクシングの日本ランカー5位以内になったら、競艇学校の推薦がもらえるんですよ。だから大学卒業後はとりあえずプロボクサーになってランカーになって、それから競艇選手になろうと」

プロとして初めてリングに上がったのは2014年。夢の競艇選手への道が始まった。

#2へつづく

#2 【“泥酔事件”について初めて語る】王者・寺地拳四朗に笑顔とダブルピースをさせなくなったあの日。「あの失敗は自分の人生経験としては大きな出来事でした」

続編

「無欲」から「感謝の境地」に至る過程が興味深いです。

周囲の支えに気付いていくために、「失敗」や「挫折」があるんでしょうね。

幼い頃から貧困で苦労したり、病で苦しんだり、人の裏切りで傷ついたり、お金持ちでも貧乏であっても人それぞれ形は違うし、気付く過程は違うけれど、人が成長していく過程というのは似たものなのでしょう。

【“泥酔事件”を初めて語る】王者・寺地拳四朗から笑顔とダブルピースがなくなったあの日。「あの失敗は自分の人生経験として大きな出来事でした」

試合後も満面の笑顔がトレードマークだった寺地拳四朗だが、最近の試合では号泣している姿が目立つようになった。お決まりのダブルピースを見せなくなった彼にどのような変化があったのか、そして、9月18日に迫った防衛戦へのモチベーションは?(前後編の後編)0

「あ、世界チャンピオンになれるやんって」

ボートレーサー養成所の推薦が得られる日本ランカー5位以内を目指して、2014年にプロデビュー戦を迎えた拳四朗は、最初から注目度の高い選手だったわけではない。井上尚弥のようにデビュー2戦目から地上波生中継が組まれることなどもちろんなく、決して珍しくない親子鷹ボクサーの1人という評価だった。

初めて東京で試合をした3戦目も、当時10戦無敗で躍進を続けていた対戦相手の長嶺克則選手の下馬評が高く、拳四朗が負けることも十分にあり得ると思われていた。

第3戦目の長嶺戦(写真提供:ヒノモトハジメ)
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しかし、蓋を開けてみると終始、拳四朗が小刻みなステップで試合をコントロールし続け、会場の客を驚かせた。

「デビューして順調に日本ランカーになったんですけど、これ日本王者なれるやんって。ここでやめて競艇選手目指すのももったいないかなって。

で、日本王者に挑戦して勝って、そしたら世界ランカーになるじゃないですか。ほんならこれ、世界王者になれるやんって。で、世界チャンピオンになって…。そのへんですかね、『競艇ではなく、ボクシングで生活していこか』ってなりました」

本人は淡々と振り返るが、世界王者になるまでデビューからわずか3年しか経っていなかった。

ボクサーのなかには仕事や家庭を犠牲にして、ハングリー精神を高ぶらせて試合や練習に打ち込む選手もいる。一方で、「デビューからしばらくは実家で暮らしてたし、お父さんのジムでトレーナーのバイトもしてたんで、ファイトマネーがあればそれで生活の不自由とかはなかったですよ」と飄々と話す拳四朗の世界王者奪取までの足跡には、苦労人のイメージはない。あるいは、そう見せない。

「才能……んー、センスはあるほうなんちゃうかなとは思いますよ。スポーツって努力だけやとやっぱ限界はあるから」

こんな話もどこか他人事のように話すから、まったく偉ぶったところや嫌味がない。

「世界タイトル獲ったときは、達成感はありましたよ。でもずっと仕事と思ってましたから」

世界王者になってから出演したテレビのバラエティ番組では、「グルメレポーターになりたい」と言って出演者を笑わせた。トークショーでは、「もっと有名になってキャーキャー言われたい」「原宿とかを歩いたときにパニックになるくらい」と話して会場がどっとわいた。

防衛戦の試合後はまるで遊び終えた後のような愛嬌たっぷりの笑顔とダブルピースが定番となった。リング以外では、血と汗と涙が似合う従来のボクサーのイメージとは違う、どこにでもいそうな自然体のキャラクター。有名漫画の主人公と同じ名前の王者は、むしろちょっと素直すぎるくらいのベビーフェイスとして、ファンの間では浸透していった。

しかし、そんなイメージからかけ離れた出来事が起こる。2020年の泥酔事件である。

ダブルピースはできなくなった

2020年11月、拳四朗は泥酔状態で他人の車を破損させたことが報じられた。示談が成立したものの、その後は世界戦が一旦中止となる騒動となった。

本記事は世界王者のサクセスストーリーだけをなぞるのが目的ではなく、かといって功徳や罪を細かく検証する評伝でもない。被害者がいる出来事なので、その後の試合の勝利と強引に結びつけて「苦難に打ち勝った」などといった、美談として雑に整理することもしない。

ただ、拳四朗は騒動についてきちんと反省を表したうえで、「あの失敗は自分の人生経験としては大きな出来事でした」と話したことを残しておきたい。

練習は20ラウンド以上、みっちりこなす

「勝ち続けて上手くいっているときは、(人生)経験が積み上がらないんですよ。でも、ああいう失敗や敗戦を経験して、改めて自分の未熟さとか、支えてくれる人のありがたみを感じました。

ボクシングだけ強くてもダメで、人間力って絶対に大事やと、気持ちを入れ替えて。でもそれって、若いうちはなかなか気づくことができへんかったことなんですけど」

拳四朗が不祥事を起こした際、周囲で応援してくれる人たちが離れていくことはなかった。そのうちの一人が、東京の練習拠点である三迫ジムで、世界王者になる前から指導してきた加藤健太トレーナーだ。

拳四朗の担当トレーナーである加藤健太トレーナー

「オレに謝る必要はない、それよりこれからどうしていくか真摯に考えようと声をかけました。防衛を重ねているうちに、自分も含めて調子に乗ってしまっていたところがあったと思います。だからあれ以来今でも、『勝って兜の緒を締めるんだぞ』と、試合後に拳四朗には話すようにしています」(加藤トレーナー)

2021年9月、拳四朗は9度目の防衛戦で挑戦者の矢吹正道に敗北を喫する。試合後、病院に向かう車のなかで加藤トレーナーは「今日の敗戦はオレの責任だから、また一緒に頑張ろう」と声をかけた。この世界王者からの陥落後も、周囲の人たちは誰一人離れなかった。

そして約半年後、ダイレクトリマッチでKO勝利により雪辱を果たした。リングの上では、加藤トレーナーと抱き合って号泣する拳四朗の姿があった。そこにダブルピースはなかった。

23年4月、アンソニー・オラスクアガに勝利後、涙を流す拳四朗 写真/山口フィニート裕朗/アフロ

「不祥事以降は、支えてくれる人たちへの感謝が大きくて、試合後は涙もろくなりましたね。ダブルピースはしなかったというより、する余裕がなくて。

こないだの試合(2023年4月のアンソニー・オラスクアガ戦)でも、普段めったに怒ったりしない横井(龍一)トレーナーがインターバル中に『バカヤロー!』って活を入れてくださったんですよ。その次のラウンドでKO勝ちできたんですけど、コーナーに戻って横井さんの顔を見た瞬間、ほっとして泣いちゃいました」

10年前とは異なるモチベーション

2023年9月18日のヘッキー・ブトラーとの防衛戦では、通算で14回目の世界戦となる。すでに十分に世界王者として名声を得たかのようにも思えるが、さらなる高みとなる4団体統一世界王者を目指す。

「でも、4団体統一したいのは、応援してくれるみんなに喜んでほしい、というのが一番の理由ですね。それよりも今モチベーションとなってるのは、やっぱりボクシングが好きってことですね」

ボクシングの面白さに気づいたのは2017年に世界王者になった後、信頼する加藤健太トレーナーと練習を積み重ねてからだった。「ボクシングの奥深さがわかりはじめた」という。

練習前はリラックスして雑談も盛り上がる

「昔は世界王者になって『有名になりたい』とか『キャーキャー言われたい』とか思ってましたけど、今は全然(ない)。それより『ボクシング好きやな』『もっと強くなりたいな』って思ってます。ファイトマネーについても昔は金儲けしたいと思ってましたけど、まず強くなって、あとからついてくるやろと思うようになりました」

ボクシングは好きになったが、憧れの選手や好きなボクサーができたわけではない。誰かの応援は別として、以前と変わらず自分以外の試合は興味がない。そういったところも彼らしい。ただ新たに生まれたボクシングへの情熱は、加藤トレーナーにも伝わっている。

「彼が敗戦から再起したのも、やっぱりボクシングが好きだから戻ってきたんだなと思いました。ただこの競技を好きに越したことはないですが、好きとか嫌いっていう思いが雑念になることもありますから。拳四朗の本当の強みは好き嫌い関係なく、こちらの伝えたことを素直に受け止めて、100%実行してくれる力です。

ガマン強くてキツくても顔や態度に出さないし、絶対に言い訳しない。『自分はキャラクターで、リモコンで操作しているのは加藤さん』と彼は冗談で言ってますが、世界王者であってもそれくらい謙虚に、人を信じ抜く力を持っていることが彼のすごいところです」(加藤トレーナー)

とはいえ、拳四朗にそれとなく尋ねると、練習がツラいなと思うことは実は今でもあるという。「でも、加藤さんがあんだけパートナーとして練習一緒に頑張ってくれるんで」と話す。

加藤トレーナー「拳四朗は飲み込みがものすごく早い」

「そういう意味では、一人では絶対続かなかったですね。この環境に感謝しています。三迫ジムは部活みたいにみんなで一生懸命頑張ってる。

大学時代と同じ? ああ、確かにそうですね、今となって思えば、あの頃の環境も当たり前ではなく、感謝せなあかんねんなと思いますね」

練習前後では、ジムで汗を流す一般会員とも気さくに話す。防衛戦直前の2週間前となったこの取材も、ピリピリした様子は一切なく、ストレッチしながら15分以上もトレーナーたちと一緒に雑談に付き合ってくれた。申し訳なく思ったが、「試合前でもいつもこんな感じで普通っすよ」と拳四朗は飄々と話してくれた。

「普通っす。仕事がボクサーってだけで、僕、普通っすよ。自炊もするしスーパーで買い物もするし、洗濯も自分でします」

そう笑ったあと、

「あ、でも、僕サイコパスってよく言われますね」

こちらがヒヤッとすることを言う。

「でも、それって褒め言葉でしょ? 無慈悲なくらいリング上で強いってことですから」

「普通」の世界王者はそう言って、珍しくちょっと得意気な表情をみせた。

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