「社会性なんてないほうがいい」「ムラ社会の日本」

色んな事を考えさせられる記事でした。

「ダウンタウンさんがすべてを変えた」“平成の明石家さんま”と呼ばれた芸人が明かす「日本の芸能村」の病…「タモリさんは本質を理解している」「たけしさんはどう思うのか」

ぜんじろうさん、関西で爆発的な人気がある頃ほんまによくテレビで見掛けましたし、好きでしたね。

東京に進出してしばらくした頃から、方向性を変えたとかでメディアでは見かけなくなりましたが、時々サイトとかで見ていました。

記事を読んでいると、色んな事を深く、広く考えられる人なんやなあと思います。この辺は師匠の上岡龍太郎さんとも通じる所なんでしょうか。

「社会性をなくす」。これをあらゆる分野で仕掛けられ続けた結果が、今の日本社会の幼さ、精神性の低さですね。

社会の問題を語るヤツはダサい、空気を重くする、といった雰囲気。

自分の仕事や趣味以外の世界は語らない、内輪受けのみの世界。

自分が生かされているこの社会への関心を失ったら、滅びる日は近いと思うんですけどね。かつてのローマとか滅びた文明って必ずそうやって文化・文明が爛熟していってアカン様にはなったはず。

そこを歴史から学ばんとアカンのと違うん?と思うんですけどね。

以下転載

故上岡龍太郎氏の弟子で、90年初頭に関西ローカル番組で大ブレイク――。「平成の明石家さんま」とも呼ばれ一世を風靡した、ぜんじろうさんは現在スタンダップコメディアンとして活動している。2016年に「日本スタンダップコメディ協会」を立ち上げ、副会長を務めながら日本ではあまり馴染みのない話芸に挑み、その魅力を発信中だ。87年のデビュー以来、芸能界の酸いも甘いも味わってきた、ぜんじろうさんのロングインタビュー。第2回ではダウンタウンの登場以来大きく変わり、村社会化が進む日本の芸能への思いを明かす。

撮影/中村將一

前回記事【「善人ほど早死って言うから、安倍さんは不死身かと…」安倍晋三銃撃事件で大炎上した芸人・ぜんじろうが今だから語る、あのツイートの「本当の意図」】

笑いへの寛容さが失われいった

――ぜんじろうさんは90年代前半の一時期、関西圏ではテレビで観ない日はないというぐらい超売れっ子でした。ところが、95年に東京に進出してからというもの、露出がめっきり少なくなってしまいました。何があったのでしょうか。

ぜんじろう 村化した芸能界から完全にこぼれ落ちてしまいましたね。

――それは東京の芸能界が「村化」していた、ということなのでしょうか。

ぜんじろう いや、関西も大なり小なりなのですが、東京の方が早かったと思います。もともとコメディというのは、社会のガス抜きというか、潤滑油のような機能を持っていたと思うんです。1980年に始まった漫才ブームにおけるツービートもそうでしたよね。「寝る前にちゃんと締めよう 親の首」みたいな、人間の偽善を暴く毒舌漫才で人気を博しました。

落語家の立川談志師匠の風刺も、言いたくても言えない本音が隠れていて痛快だった。そこまでは大人も楽しめた。ただ、バブルあたりを境に日本のバラエティーのマーケットは子どもをターゲットにし始めましたよね。学校の部活の延長に、プロの芸人が磨きをかけたような笑いが主流になりました。笑いを取るための緻密な計算はされていますが、傍から見るとふざけているだけというか、今からすればパワハラ、セクハラといういじめ。でも仲間同士だから許される、という内輪ネタが増えていきました。社会性なんてないほうがいい、という価値観ですね。日本が豊かになって政治や経済への不満が薄まったということもあるのかもしれませんが、同時に毒を含んだ笑いを受け入れる寛容さはどんどん失われていってしまった。

たけしさんは、そのあたり、どう思ってらっしゃるのか、時々気になります。忸怩たる思いもあったと思うんですけどね。それか、完全に諦めてしまったのか。ツービートはコンビでしたけど、ネタは完全に大人向けのスタンダップコメディになっていましたよね。たけしさん一人だと毒が強過ぎたと思うんですけど、横できよしさんが「よしなさい!」って言うことで程よく中和されていました。日本でスタンダップ的な笑いを浸透させるには、あのコンビ形式がベストなのかなと思うときもありますね。

「おまえなんて、おもろないやんけ」

――確かに日本のバラエティー番組は、あるときを境に、子どものもの、というイメージが強くなった気がします。

ぜんじろう ダウンタウンさんはおふたりの天才的な発想と圧倒的な技術で日本のお笑いを革新しました。漫才でもコントでも、欧米の真似ではなく、日本独自のコメディを作り上げた功績は間違いなく大きいです。一方で、ダウンタウンさんが日本のお笑い界の頂点に立つと、芸のあまりの面白さ、完成度の高さに、多くの方々が「日本の笑いがいちばんや」と信じるようになったのではないでしょうか。

芸人、一般の方々を問わず、海外のコメディを下に見て、「外国人、さむ」みたいな言い方をしはじめました。そしてそもそも海外のコメディを見なくなりました。これって、日本が豊かになり、独自のお笑い文化を成熟させたことの象徴ですよね。それ自体はすごいこと、誇らしいことです。

でも同時に、ダウンタウンさんや吉本興業のお笑いのおもしろさがわからないやつ、それに合わせられないやつは、センスがないと酷評され、つまはじきにされるようにもなりました。また「さむ、こいつ」「おまえ、おもろないやんけ」と芸人同士でじゃれあって視聴者の笑いを取るというスタイルも広まりました。

ダウンタウンさんのお笑いは天才だけになせる技です。それゆえなぜ面白いのか、理屈付けや説明が難しいんですね。そのダウンタウンさんが頂点に立つと、多くの芸人が、理屈抜きに、立場が上の芸人の反応ばかりを見て、さむって言われないように気にしながらネタを作るようになりました。そうしたことがお笑い界の村化につながった、という側面もある気がします。

――おもしろいかどうかは個人の好みの問題であって、絶対的なものではないですもんね。

ぜんじろう 日本の場合では、新人が「芸人です」って、自己紹介したらまず「事務所、どこ?」と聞かれます。どこの村に属して、上に誰がいるか、なんです。もちろん一般の方も会社名を聞かれることはよくあると思いますが、芸能界ではますます所属事務所を中心としたしがらみが重要になったように思います。ちなみに海外では自己紹介すると「キャリア、何年?」って、まず聞かれます。

――東京時代よりも大阪時代の方が、まだ日本のテレビ界にハマっている感じはあったのでしょうか。大阪にいた頃、しゃべり方とか雰囲気が明石家さんまさんにそっくりだったので、この人もいずれは東京に出て、さんまさんのようなスターになるんだろうなと思っていたんですよね。

ぜんじろう いやいや、大阪でも全然、ハマってなかったですよ。当時、関西のテレビ局のプロデューサーが来て、こう言われたことがあったんです。「ぜんじろうで情報番組をつくりたいんだけど、約束して欲しいことが3つある」と。それを飲んで欲しいというのが条件だったので、わかりましたと言うたんです。その3つというのは、ギャラは安いよということと、アーティスト性は出さないで欲しいということと、どん臭いスタッフもいるけど怒らないで欲しい、ということだったんです。

365日休みなし

――2つ目はわかる気がしますね。関西で一世を風靡していた頃のぜんじろうさんって、おもしろいことを言う芸人さんというより、ちょっとおもしろいことを言うアナウンサーみたいなイメージだったんですよね。

ぜんじろう そういう風に言われていたからですよ。特に帯番組のときは、アナウンサーのような立ち位置でやってくれ、と。それまで、ラジオとかでちょっと無理してやってたんですよ。上岡(龍太郎)的なことをやったり、パンク的なことをやったり。いろいろと、実験的に。それで失敗して、番組を外されたこともありますし。だから、自分を出さないというのも一つの手やなと思ったんです。でも、テレビって怖いところだなと思いましたね。自分を出さない方がウケるんですよね。タモリさんなんか、その本質を誰よりも深く理解してらっしゃるんじゃないですか。芸能界なんだから、自分なんか出してもしゃーない、って。本当に思っていることほど、あえておっしゃってないですもんね。だから、あれほど長く必要とされているのだと思います。

ただ、僕が直面した現実は、ショックはショックでしたよ。自分の思いとは全く違うところで売れていくわけですから。大阪時代は365日休みがなくて、アイドルってこんな感じなんやろなと思っていましたね。

撮影/中村將一

――売れて嬉しい反面、窮屈さも感じていたわけですか。

ぜんじろう もともとひねた人間なんでね。フラストレーションはたまってくるし、飽きてもくるんですよ。こんなこと、毎日、やってなあかんのかな、と。取材なんかもめちゃめちゃ受けましたけど、まさか正直に「単にプロデューサーに言われた通りやってるだけです」なんて言えませんしね。

――それで東京に出て行こう、と。

ぜんじろう それも流れといえば流れですよね。当時、大阪である程度、火が付いたらタイミングを見て東京に出るという流れがあったんで。もう、ほとんど会社任せ。でも、東京の人たちも、どう使ったらいいかわからなかったんでしょうね。ダウンタウンさんでもないし、上岡とも違うし、さんまさんでもない。そもそも、僕にそんな実力もなかったんですよ。完全な負け組です。

僕も夢を持って東京に来たのに、東京も夢ないなぁ、なんて思ってしまいましたしね。大阪とは違う、もう一つの芸能村があったなみたいな。今、表沙汰になっているジャニーズの問題もそうでしたけど、暗黙の了解事項がむちゃくちゃあるし。あと、「吉本さんが」ってよく言われましたね。僕のことなんて見てないんですよ。ああ、芸能界やな、って思いましたね。大阪と同じで、自分がハマる感じはまったくなかったですね。

名古屋も「村」だった

――「芸能村」という空気感は、当時も今も変わらないのでしょうか。

ぜんじろう 山下達郎さんがラジオでジャニーさんに対して、自分にとって大切なのは「ご縁と、ご恩」っておっしゃったじゃないですか。それって、めちゃめちゃ個人的なことですよね。でもジャニーさんは人権に関わる深刻な犯罪に問われてるんです。どう考えても、いち社会人、芸能人としての発言ではないでしょう。

でもあの発言がすべてを物語っている感じもしましたよね。今、芸能界だけじゃなく、日本全体もどんどん村化していってる気がいます。おもろかったのが、新型コロナが流行したとき、名古屋でラジオをやらせていただいたんですよ。好きにやってくれとのことだったので、イギリスとかアメリカのニュースショーのようなことをやりたいと思ったんです。

僕が遠慮も忖度もなしに、どんどんニュースに切り込んでいく。そう思って意気込んでいたら、まずスタッフに「河村(たかし)市長には触れないでください」って事前に釘を刺されて。キャラクターは立つし、不適切な言動を繰り返すし、でも地元では人気者。よそ者の芸人である僕にとってあんなにいじり甲斐のある社会的強者はいないんですが、「本当はええ人なんで」と。ええ人って、市長がまるでご親族かのように話されるんです。名古屋は大好きですし、多くのリスナーの方々に励ましていただきました。でも名古屋のマスメディアはやっぱり一つの村なのかもしれません。

こちらも興味深い内容でした。 → 「善人ほど早死って言うから、安倍さんは不死身かと…」安倍晋三銃撃事件で大炎上した芸人・ぜんじろうが今だから語る、あのツイートの「本当の意図」

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