【身体感覚の技化】

現代は何よりも「自由」とか「気楽」といった価値観が重視される世の中になっていますが、その落とし穴に気づいておく事が大切なのではないかと思います。

何事においても基本というのは重要ですが、「基本」とは自分をある「型」にはめる事であり、「自分の心身にある種の”制限”を与える」こと。この型による制限が、「力・エネルギーの分散・拡散」を防ぎ、ある方向への「集中・収束」をしてくれる。

それを頭での理解ではなくて、体で理解する、体得するという事が大切なんですよね。

そんな事を分かりやすく書いてある、明大教授齋藤孝さんの文章を抜粋して紹介します。

「明治の人は一本筋が通っていた」としばしば言われる。これは、精神的な意味では善悪の基準がはっきりとしていたという事や、強い意志の力を意味すると同時に、体の側面で言えば「腰を立てる」事が出来ていた事を意味する。 

「腰を立てる」感覚は現在、あまり強調される事がないが、後で幕末・明治期の写真を見ると分かる様に、当時は基本的な技であった。 ここで重要なのは、「身体感覚の技化」という事である。身体感覚は、通常は何かの刺激に対して反応する一回性のものだと考えられがちである。

しかし、身体感覚も文化的なものであり、習慣によって形成されるものである。腰や肚に関する感覚はその典型であり、生活の中で何度も訓練され、身に付けられた一つの技である。 腰や肚の身体感覚は、体を秩序化するものであり、緊張を要求する。シャンとした雰囲気や,ピシッとした雰囲気が心身の状態感として要求される。それだけに、はじめは特に楽な感覚ではない。美味しいものを食べた時の感覚や、好きな音楽を聴いている時の快感などは、とりたてて訓練しなくともよい性質のものであるが、腰や肚の身体感覚は訓練されなければなかなか身に付けられないものである。

ただし、技一般がそうである様に、「身に付けるのには修練が必要であるが、一度身に付ければ、むしろ効率がよく楽になる」という性質が腰や肚の身体感覚の技化にもある。 身体感覚は、気持よさを感じる方向へ体を解放するという文脈で語られる事が多い。この文脈では、身体感覚は訓練されたり技にされるものではない。しかし、「身体感覚を技化する」という考え方をする事によって、一回一回の身体感覚に流されていくのではない方向性が見えてくる。身体感覚が技となって身に付く事で、より確かな充実感が得られる可能性が生まれるのである。 

以上抜粋

身体感覚。頭での理解ばかりが重視される現代社会では、疎かにされがちな感覚ですが、これは肉体を持って生きる動物である人間には絶対に欠かせない感覚だと思います。どんどんバーチャル化されていく世の中ですが、だからこそ忘れてはならない、より重視しなければいけない重要な感覚なんじゃないでしょうか。

参考記事 → 王貞治さんの”ワザ”

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