「心」というモンスター①

現代人の悩みの中心の部分にあるのが、「自分で自分の心が分からない、コントロールが出来ない」というものじゃないかなと思います。自分の「心」をコントロールするどころか、「心に振り回されている」のが現実なんですよね。主従逆転って感じだと思います。

古くから伝わってきた伝統的な心身をコントロールする技術を忘れ、欲望と恐怖に振り回されて、人生の目的を忘れてしまった日本人。以下は明大教授の齋藤孝さんの著書より抜粋したものですが、とても鋭い視点で書かれていると思います。心が自分自身では制御出来ない、化け物になっているんですよね。

本来、宗教は心の中核にあって然るべきである。それが自分を超えた力、つまり運命というものに対処する術である。運命と自分との関係性について、心の整理をつけるのが宗教というものであるとも言える。
故に宗教心を持っていれば、心の安定に繋がる事は間違いない。
戦前なら、出来るか否かは別として、多くの人は禅がどういうものか感覚的に分かっていた。生活習慣の中に入り込んでいたため、普通の暮らしが禅の精神を全うする事にもなっていた。茶道や華道に見られる様に、一期一会を大事にし、静かな気持ちでありのままを見て楽しむという考え方が、生活の中に溢れていた。
だが戦後になり、その習慣も消えてしまった。武道や儒教の精神ともども、複数あった柱を全て失ったのである。これはかなり深刻な精神の危機と言えるだろう。
三島由紀夫はそこに警鐘を鳴らしたが、多くの日本人は経済的な豊かさに幸福感を見出し、それに気付かなかった。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のような昭和30年代の成長時代であれば、家庭に冷蔵庫やテレビが来る事は“事件“であり、ある意味で幸福の絶頂だった。物質的な豊かさがそのまま幸福感に直結していたのである。
ところが、ある程度豊かになると、もはや物質的に満ち足りた生活は幸福感に繋がらなくなってきた。かといって精神や習慣の柱も最早ない。
そして現代人に残されたのは、「モンスターの様に肥大化した心」だけだったのである。

続く

かつての武士道に代表される様に、本来、日本人って強い精神力を誇っていた民族だと思うんですよね。いいか悪いかは別として、特攻隊の方々もその象徴じゃないかと思います。まあ、特攻に行かれた方の本(大貫健一郎氏。歌手の大貫妙子さんのお父さんでエースパイロットだった方)を読んでみると、末期になると全てが自分の意思ではなくて半強制というか、断れない空気を作られて行きたくないのに行かされたという部分も大きかったと書かれていますが、特攻隊に限らず、祖国を守るために闘ってくれた方々に強靭な精神力があったという事は事実だと思うんですよね。

そういった精神力がなぜ、戦後になって急速に失われてしまったのか?

なぜ、これだけ短期間で、日本人の心は弱くなったのか?

戦後の豊かになった暮らしや教育方針の変更が、日本人の心から逞しさを奪ったと言えるのかもしれませんが、その理由がハッキリと分かれば、単純に言うなら、「その逆を行えばいいだけ」といえるのだと思います。

続く

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