「永遠の命」は本当に人を幸せにしてくれるのか?

色々、考えさせられる記事でした。小学校の頃、初めて手塚治虫先生の「火の鳥」を読んだ時、子供なので理解はし切れないなりに物凄い衝撃を受けましたが、そんな事がいよいよ現実に自分の身に起こる時代がやってきているんですね。
この記事、分かるなあと思う部分もありますが、「永遠の命」まではいかなくとも、肉体を機械のパーツの様に交換して、「半永久的に生きる」様な人生に人間の心というものは耐えられない様に思うんですよね。
人間という生き物を生み出した、神というか、サムシングレートというか、人智を超えた大いなる力の影響力から人が抜け出して自分のエゴを増長させていくのは、非常に危険だと思う。
人類という生物を生み出してくれた、創造主の力の及ぶ範囲の中で生きる、「ある意味での制限の中で生かされる」事こそ、人間という種の本当の幸せなのだと思います。


以下、記事を抜粋して紹介します。


「生身を捨てれば人は1万年生きる」


石黒:何が人間を人間たらしめるのかはまだ分かっていない、というのが答えになります。400年前にフランスの哲学者デカルトが残した「我思う、故に我あり」という命題のように、人間の定義を考え続けるのが人間なのかもしれません。


 スマホやコンピューターを脳活動の一部ととらえれば、今後、人間の機構はより複雑になっていくでしょう。生身の人間の寿命は最長で120年程度ですが、人間が全面的に機械化されればハードウエアの耐久性能次第で1万年だって生きられます。1万年の寿命を持つ人間の機構はさらに複雑になり、把握しづらくなります。


 人間とは何かという命題は、永遠に続くとさえ思えてきます。もしも将来「我」が何であるか分かったとしても、何かほかの根源的な命題を追い求め始めるのではないでしょうか。


石黒氏にそっくりのロボット(写真:大阪大学)
1万年も生きる人間ですか……。


石黒:壊れない体にしないと、人類は滅亡しかねません。太陽や地球に異変があったらどうするのですか。地球規模の天変地異にも耐えられるよう、宇宙空間で生きられるようロボット化した人類が登場するはずです。



「火の鳥」だけではなく、昔から人にとって「永遠の命」というものは憧れだったのは事実だと思います。それに憧れ、文明や文化というものが発達もしてきたわけですし、ある意味では本能的に氷魚tが求めるものなのかもしれない。

でも、手塚先生が「火の鳥」で描かれている様に、そんなものが本当に人の手に入ったなら、人は恐ら苦しみ、死を望む様になるんだと思うんですよね。今、「手元にない」から、憧れる。そんなものなんじゃないかと思います。

僕は生まれ変わりがあると思っているし、魂もあると思っています。

その意味で、人は死なないし、永遠の命を持っているのだと思っています。

でも、そういった説を信じなくとも、肉体を物質として捉えていたとしても、筋肉や細胞といったものが死んだ後に文亜紀され、別の物質に組変わり他の生き物や物質に変わっていくという意味では、やはり英会陰の命」というものは存在していると言えるのだと思うんですよね。

「個」の意識はないかもしれないけど。

でもそれは、魂が生まれ変わっても、やはり前世の記憶がないという意味では同じ。また新しい「個」としての、新たな人生を送る。

それでいいんじゃないかなと思う。

それで十分幸せというか、それこそが幸せなんじゃないですかね~。

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