「本気」は相手の心のスイッチを入れる力がある

とてもいい記事を読みました。

結局、何かを身に付ける時に重要なのは、最後はこれなんですよね。

この自分がやるんだ!という姿勢、心構え。


この松下幸之助さんの有名なエピソード大好きなんですよね。稲盛和夫さんが著書によく書かれていますね。


以下のブログより転載 → 本気ではない人に教えても無駄

本気ではない人に、いくら教えても、無駄なんで
新人の時、私は先輩コンサルタントが主催する勉強会に出た。
詳細は忘れてしまったが、読書についてだったと記憶している。
だが、当時の私は、読書の時間を作っていなかった。

そこで、先輩にそれを質問した。
「忙しい時に、どうやったら本を読む時間を作れますか」と。
ところが、その主宰者は言った。
「時間は作りなさい。」

あまりにも抽象的だと思ったので、私は言った。
「そのやり方を、具体的におしえてほしいのです。」

ところが先輩は言った。
「本当に私が言ったとおりにやりますか?」

先輩に詰められ、私はドギマギしてしまった。
「え……、参考にします。」

先輩は冷たく言った。
「本気ではない人に、いくら教えても、無駄なんで。」


甘さを見抜かれた

私は先輩に「くだらない質問をするな」と怒られたのだと理解した。
仮にも、コンサルタントという職業に就いた人間が、「本を読む時間を作るにはどうしたら良いですか」など、聞くべきではないのだ、と。

しかし、時間がたつと、もう少し本質的なものが見えた。
要するに、私の甘さを、先輩は見抜いていたのだ。

確かに、本気の人物は「時間が作れない」などとは、言わない。
何が何でも、本を読もうとするはずだ。

稲盛和夫氏の上のエピソードも、「できればいいなあ」という程度であるならば、絶対に高い目標や夢は成就しない、とつづられている。


しかし、私はその瞬間、身体中に電撃が走るように思いました。
幸之助さんのつぶやきとも取れる「思わんとあきまへんなぁ」という一言に込められた、万感の思いのようなものに打たれたのです。
「思わんとあきまへんなぁ」──この一言で、幸之助さんは、こんなことを伝えようとしていたのではないでしょうか。

「あなたは、そういう余裕のある経営をしたいと言います。でも、どうすれば余裕ができるかという方法は千差万別で、あなたの会社にはあなたの会社のやり方があるでしょうから、私には教えることができません。しかし、まずは余裕のある経営を絶対にしなければならないと、あなた自身が真剣に思わなければいけません。その思いがすべての始まりなんですよ」

つまり、「できればいいなあ」という程度であるならば、絶対に高い目標や夢は成就しない。
余裕のある経営をしたいと本気で思っているかどうか。本気であれば、そのための具体的な方策を必死で考え、必ず「ダム」を築くことができるということを、幸之助さんは言いたかったのです。


経営者たちが「具体的にどうすればいいか教えてください」などと、子供のように松下幸之助に尋ねている。

それがあまりにも稚拙だったので、松下幸之助は戸惑ったのだろう。
「君たちは子供か」と。

ただ、松下幸之助は優しい人だったのだろう。
「本気ではない人に、いくら教えても、無駄なんで。」と言わず、「思わんとあきまへんなぁ」と言ったのだ。


やってから聞け

それ以来、大事なことを人に聞くときには「やってみて困った部分を具体的に」聞くようにした。
そうすれば、相談される側も、具体的なアドバイスが可能だ。
先輩の時間も無駄にしない。

「抽象的な質問には、抽象的な回答だけがある」
が、「具体的にやってみたことに対しては、具体的な返答が得られる」のだ。
たまたま、ピッタリの写真がありました!
松下電機本社に行った時に撮った写真です。

どうやったら健康になれますか?

どうやったら痩せますか?

といった質問をよく受けますが、その質問そのものが悪いわけじゃないんですけど、その言葉を口にするその人の覚悟は態度や言葉の節々からよく伝わってきます。

この人、言うても無駄やな、おそらくやらへんな」って分かる。ほとんどの場合、当たる。

逆の人も同じ。「あ、この人、本気やな。教えたら絶対にやるわ。本気で教えよう!」ってこちらのスイッチが入る。

本気は伝わるし、本気は相手の心のスイッチを入れる力があるんですよね。

これって、言葉そのもの、単語の力じゃない。そこに込められた想い、言霊の力ってやつじゃないかと思いますね。

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