褒められ中毒

昔からこの「褒める教育」の弊害を言う人はいますよね。有名なアドラーも言ってますね。

そういった問題について、「ケーキの切れない非行少年たち」の中に書かれていた部分があるので考えてみました。



【褒める教育だけでは問題は解決しない】
 
学校で気付かれない子は、その後どうなるでしょうか。
学校にいる間は、まだ先生が目をかけてくれる可能性がある。しかし、卒業して社会に出れば、もう誰も目をかけてくれない。
 
社会ではより要求度の高い仕事を与えられる。失敗すると責められ、イヤになって仕事を辞め、職を転々としたり、対人関係が上手くいかずひきこもりになったりする。
 
しかし彼らは、自分は「普通」であると思っているので、自分から支援を求めようとはしない。そして彼らは社会から忘れられてしまうのです。
 
最悪、犯罪によって刑務所に入る事もある。刑務所に入っている人達の中には、学校で気付かれず、社会で忘れられた人々がいるのは事実。
 
こういった人を作らないためには、早期からの発見と支援が必要。小学校の低学年からサインを出し始めるので、それを見逃さず支援していかねばならない。
 
しかし、ここでまた新たな問題が出て来る。サインに対して、どう対応しているのか。
 
現在の「支援スタイルは多くの場合、「いい所を見つけて褒める」「自信をつけさせる」というもの。苦手な事をそれ以上させると自信を無くすから、得意な所を見つけて伸ばす。いい所を見つけて褒める」という方向に行きがち。
 
しかし、「苦手な事をそれ以上させない」というのは、とても恐ろしいこと。支援者は「そこは伸びる可能性が少ない」としっかり確かめているのか。
 
もし確かめずに「本人が苦痛だから」という理由で苦手な事に向かわせていないとしたら、子供の可能性を潰している事になる。ある意味、支援者が障害を作り出している事にもなり兼ねない。
 
週に一回忘れ物をしてくる子がいるとする。これを「いつも忘れ物をする」と見るか、逆に「週のうち、4日は忘れ物をしない」と見るかで対応は変わってくる。現代の「誉める教育」は、忘れ物を注意するのではなく、ほとんど忘れていない点に注目してそこを褒めて強化するスタイル。
 
確かに褒めて良くなる事はある。
しかし、それでも「週に一回忘れ物をするという状況が変わらない」としたら、褒める事よりも、「忘れ物をしない注意・集中力を付ける」事をしないと問題は根本的に解決しない。
こうした問題が発生している場合の「誉める教育」は、問題の先送りにしかならない。
                                                             

でも、今の教育の世界ではなぜかこの「「褒める教育」が主流になってしまっている。褒める事そのものが悪いんじゃない。「何かできた時に褒める」事も最初は大切。本人も嬉しいし、何よりもどの状態がいいのかという「基準」が分かる。

でも、「褒められるのが目的」になるとダメ、それは危険な事であるということ。

脳は褒められると、快感を感じるホルモンが出る。それは脳内に麻薬や甘いものを食べた時と同じ作用を起こす。

もっと欲しくなる。それは麻薬や砂糖と同じで、脳を中毒にさせる。

「“褒め言葉“という麻薬」欲しさに行動する様になる。

それはその人の行動の基準が、他人軸になるということ。他人に支配されているという事だ。

勉強でもスポーツでも仕事でも、こうなっている人は本当に多い。

テストや試合や仕事の成果によって、他人から褒められ、称賛され、評価される事が喜びになっている。

自己の内面の成長や自分の内側から湧き上がる歓びではないものによって、自分の行動が支配されている。自分の根っこを育てる事を忘れてしまう。

でも他人から見ればその人は、勉強やスポーツ、仕事に一生懸命に努力しているから、そんな風には思えない。「自分のために」努力している様に見える。

しかし、それは「自分自身の歓び」ではなく、

「他人から自分がどの様に見られているか、評価されているか」という他人軸の動機だから、いつも他人の評価に振り回されてるだけ。

アスリートでも意外にこの他人軸で生きている人が多いのを見てきました。

「結果を出す」というとカッコいいけれど、つまりは他者からの評価、他人から見える形での結果にこだわって、真の意味での自己の内面の成長、精神的な部分での成長を疎かにしていたりする。他人の評価を失うのを怖れて、なかなか引退出来なかったり、いつまでも試合に出続けたりして、辞めるキッカケが掴めなかったりしてしまう。

他人からの評価は参考程度に留めて、自分自身の成長や喜び」に意識を向けられる様にならないと、自分軸で生きられない。本当の意味で自分の人生を生きるという事が出来ないと、いつも他人の顔色を窺って生きる人間になってしまうと思います。

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