見えないものが与える大きな影響

こういう話ってあると思うんですよね。
ご先祖の霊とか、因縁とか、胡散臭いと思う人がほとんどやと思いますが、宗教の修行に凝っていた頃に先生方から聞いたりもしましたし、直にそういった経験をしたという方からもこういう話を聞いた事があります。

以下、致知出版社の人間力メルマガより転載。

2021.9.23

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きょうは秋分の日。
秋のお彼岸に当たり、
ご先祖様に感謝の思いを捧げてみてはいかがでしょうか。
ご先祖様の存在なくして、私たちの存在はありません。
ここに紹介するのは、先祖の生き方が私たちの人生にも大きな影響を与えているというお話です。

経営コンサルタントの天明茂さんは、仕事の一環として「家系分析」を行っていきました。

潰れた会社の再建のために社長さんに家系を調べてもらって家族のあり方を見直すと、家庭内の人間関係がよくなったり、経営が持ち直したり、慢性病が治ったり、ということが数多くあるというのです。

聴き手は筑波大学名誉教授・村上和雄先生(故人)です。

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(村上) 
家系図だけを見ても、
その背景にあるものまではなかなか分かりませんものね。

(天明)
私たち夫婦は両親と同居していたのですが、
私の父と妻との間に確執がありました。
しかし、調べていくと妻と父だけでなく、
母と義理の祖母、祖母と義理の曾祖母、
曾祖母とその上の高祖母の間にも似たような確執がありました。
同じパターンが何代にもわたって繰り返されていたんです。

このままいったら、今度は私たちが子供と争うことになる。
「うわぁ、これは何としても汚れた家系を正さなきゃ」と思って、
さらに調査を進めたら、他にもいろいろなことが見えてきました。

例えば、曾祖父母は粟餅屋をやっていた
同じ名字の天明家に夫婦養子に入るのですが、
養家先の両親との対立が激しくなって養子縁組を解消し、
絶家していることが分かりました。
粟餅屋の両親が「このままだと絶家してしまう」と
泣いて頼むのを振り切って曾祖父母は家を出てしまう。
その時、曾祖父母は
「勝手にしろ。その代わりおまえたちが死ぬ時は
馬乗りになって絞め殺してやる」という捨て台詞を言われた、という話を母が祖父母から伝え聞いていたというんです。

それを知った時には身の毛がよだちましたが、
そう思って改めて家系を調べていくと、
家系の中に首つり自殺をした人が何人もいたんです。
私にはまるで「首を絞め殺してやるぞ」という
怨念のようにしか思えませんでした。

(村上) 
あまり知りたくはない現実ですね。

(天明)
でも、それを知ったことがかえってよかったです。
粟餅屋をやっていた天明家の墓を探し出し供養してから、
不思議とよいことが起こるようになりました。
妻と父の確執も不思議なくらいなくなりました。
というのも、確執の原因が家系分析によって分かってきたんですね。

(中略)

(村上) 
そのように考えていくと、
私たちはあまり意識せずに生きていますが、
時にご先祖の恩に思いを馳せるのは大事でしょうね。

(天明) 
そのとおりですね。
世の中には、自分の心に親やご先祖が生きていない人がたくさんいます。
でも「ああ、ご先祖のおかげでいまの自分がある。ありがたい」という感謝の思いを常に持ち続けていることでご先祖は喜び、人生も好転するのではないでしょうか。

もう一つ大切なのは、自分たち親子、夫婦、きょうだいが仲良くしていることですね。

(村上) 
そうでしょうね。家系をずっと辿っていくと、
最後には命のもとであるサムシング・グレートに繋がるんです。
つまり、サムシング・グレートと人間は親子関係なんですね。

※『致知』2015年6月号 連載「生命のメッセージ」より一部抜粋

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さらに後になってから、福祉の仕事で色んな家庭をまわっていた時、少しずつ仲良くなって先方が心を開いて色んな事情をお話して下さると、先代位から家族の中でイザコザが絶えない。そういった事が我が子に出ている様な気がするといった話も聞きました。

また、難病になった家族をようやく治した家族の方からも親族間のトラブルが続いていて、それが難病の根っこの原因になっていた様に感じるというお話を直に聞いた事もあります。

また、そういう難病治療に当たる治療家の方からも、食習慣や生活習慣だけでなく、家族や親族間のトラブルが原因になっているケースは多い様に思うというお話を聞いた事もあるんですよね。

霊魂という言い方も出来るかもしれないし、もう少し氣とか村上先生のおっしゃるサムシンググレートとかいった感じでマイルド?な言い方も出来るかもしれませんが、人間って目に見えるものだけに影響を受けている訳ではないのだと思います。

「目には見えないものは信じない」というなら、電気とかガスとかだって見えないし、携帯も生きてる(契約されてる)ものと死んでるものの違いは使ってみないと分からないし。
ネットの世界だって、スピリチュアルでいうアカシックレコードみたいなもので、パソコンやスマホという媒介する物体のお陰で可視化しているだけですしね。

霊を降ろす霊媒(あの世から霊魂が降ろされる人。恐山のイタコ等)がスマホやパソコンですかね、何かそう言うと、「霊媒」って胡散臭く感じなくなるな~(笑)

目には見えない何か、もしかしたら体でさえ感じられない程の微細な粒子や氣といったもの等の影響を受けながら、というよりも、そういったものの力によって支えられて、ようやく生きていられる様な存在なんじゃないかなあ~と思います。

自分が交通事故に遭い、後遺症で入退院を繰り返していた時の事を振り返っても、感じるのですが、

自分は誰の力も借りていない!
自分一人の力で生きているんだ!

そんな傲慢な勘違いを起こした時に、その心の歪みを正す為に、体が病気になって教えてくれている様な気がします。

写真は野村克也監督とお母さん。
丹後に里帰りして海を見てはるところ。

この写真好きなので貼ってみました。野村監督は全然エリートじゃなく一年目でクビを宣告されたそうですが、一人で苦労して育ててくれた故郷のお母さんに親孝行したい一心で死ぬ気で努力したそうです。

お父さんは野村監督が三才の頃に戦争でなくなってはるそうで、お父さんの記憶は一切ないそうなんですが、野村監督のあれだけの活躍の裏にはお母さんへの感謝の気持ちと亡きお父さんのあの世からのご加護もあったのかもなあ~と思えてきます。

松下幸之助さんなんかもそうなんでしょうね~。お父さんの米相場での失敗から、全部含めての代々での成功といったものなのかも?って気がします。

どんな人間であっても一代での成功もなければ、一代での失敗もないのかもしれませんね

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