「死」と「感謝」を常に意識する

生きているのは当たり前ではない。人間、いつ死ぬか分からないのだ。
映画とか、戦時中のフィルムとかを見ると、そういう意識が湧いて、物凄くやる気が出てくるって確かにありますよね。
以下、ネットの記事を抜粋して紹介します。

人は「死」を意識すると、本当にパフォーマンスが向上する:

研究結果人は死をほのめかされると、それが動機になって能力をより発揮できるという研究結果が発表された。研究はバスケットボールでのパフォーマンスを測定することで行われたが、スポーツだけでなく仕事などにも応用できる可能性があるという。
2016.11.08 TUE 08:00

バスケットボールの試合前に、「いずれは誰もがを迎えること」をほのめかされた選手は、そうでない選手よりもシュートの成功率が高く、より多くの得点を稼いだ──これはスポーツ心理学の学術誌『Journal of Sport and Exercise Psychology』に掲載された研究結果である。
研究チームは、こうした死のほのめかしによる「激励」の効果は、「恐怖管理理論」(terror management theory)によるものだと仮説を立てている。この理論は、人間は「死の恐怖」に直面してそれに対処しようとする際に、自尊心や意義、不死を象徴するもの──そしてこの場合では優れたアスリートになること──を追求するというものだ。
「死をほのめかされると、その恐怖に対処する必要性が生じます。その結果、作業により熱心に取り組むことが多くの研究からわかっています」。研究論文の共同執筆者で、アリゾナ大学で心理学を研究するジェフ・グリーンバーグはニュースリリースでそう述べている。

研究チームは実験に先立ち、バスケットボールの選手を集めた。そしてまずは、論文の筆頭執筆者コリン・ゼストコットと1対1の試合を2回続けてやってもらうことにした(ゼストコットもアリゾナ大学の心理学研究者だが、選手たちには別の被験者だと思わせていた)。
1回目の試合のあと、被験者をランダムに2つに分け、半数には試合の感想を書くアンケートに、残りの半分には自らの死についてどう考えているかを書くアンケートに回答してもらった。
すると、死に関するアンケートに答えた被験者は、もう1つのアンケートに答えた被験者と比較して、2回目の試合でのパフォーマンスが40パーセントも向上したという。試合の感想に関するアンケートに答えた被験者は、1回目と2回目の試合でパフォーマンスに変化は見られなかった。

昔、いくつかの雑誌で、一昔前の日本のレスリングの指導者の方のお話で日本代表選手を合宿や強化練習などの際に、戦争中の特攻隊に行った若者の遺書を読ませたり、靖国神社に行って彼らの写真を見せたりといった経験をさせる、という事を聞いたことがあります。国を背負って闘い、国民を守ろうとしてくれた人達の心を知る事で、今自分達が置かれた環境に感謝が湧き、それは無限のエネルギーを生み出すのだ、という様な事をおっしゃっていました。

その頃の日本のレスリングは確かに強かったですが、その裏にはそういった精神性があったんだな、と思った事があります。合宿でも真夏の体育館の扉を全開にして蚊が入り放題、そして証明を全部つけて明るいままで寝させる。海外に行けば、嫌がらせで条件の悪い宿で寝かされたり、様々な嫌がらせが普通にある。条件のいい所でやらせて貰えるとは限らないから。

どんな悪条件に置かれても平常心で挑む力をつけるために、技術や体力だけではなく、そういった精神を鍛える訓練を行っていたのだそうです。

こういうのを時代錯誤とか、右翼的でダメだと捉える人もいるとは思うのですが、僕は読んでいて物凄く納得できるところがありました。

「焼場の少年」と言われる長崎の原爆の跡地での有名な写真。後ろのおんぶされている子はこの少年の弟で、既に亡くなっているのです。
この弟の亡骸を焼いて貰うために焼場に来た時の、この凛とした姿に心を打たれた米兵が取ったのがこの写真。この姿を見ると、いつも身が引き締まります。

「死」を感じるとか、限界に追い込まれた時、それに心が負けていなければ、人は普通なら出せない力を出せる。

さらにそこに先祖や周囲の人達への深い感謝があれば、もっとパワーが出るものだと思う。

「感謝」のパワーはスピリチュアルな分野の人はよく言うけれど、生物の究極のパワーは追い込まれた時に出る。アドレナリンが全開の時。生きるか死ぬか、の時。「何が何でも生き抜いてやる!」という力が出る。

でも、普通の状態では、動物と違って人間メンタルが物凄く脆いから、恐怖の方が勝ってしまう。そして筋肉が固くなってしまって動けなくなる。

だからそこで、「ご先祖、自分達の文化や伝統への感謝」といった想いが必要になるんじゃないかなと思う。

よく宗教で、人の人生を布に例えたりしますよね。宗教の修行に凝っていた頃、個人の人生は「縦の糸、横の糸」の繋がりの中である一点に過ぎない。でも、「その縦と横の糸の綾の中で支えられている事こそ幸せなのだと思えた時に、一番の強さを発揮出来るのだ」という様な事を教わりました。 今の自分は一人ではない、ご先祖からの縦の繋がり、そして今自分と同時代に生きる人達の横の繋がり。その二つに支えられる事で生きている、生かされているのだ、と。

そこに気付けた時、人は感謝というパワーを手に入れられるのかなという気がします。

生物レベルの本能的なパワーと心というか魂レベルのパワー、そしてその二つが合わさった時に肉体レベルで一番能力が発揮される状態(「カッとなって冷静に」なっている状態。ボクシングの輪島功一さんの言葉です)となり、ドーパミン(ワクワクした時に出る脳内物質)が出て、三つ巴になって力を出すというのか、音楽でいうと三重奏を奏でるのかもしれないなと思います。

こうやって書いてみると、「死」「先人への感謝」というのは、まさに武士道の一番大切にしていたものであり、日本人の一番の心の拠り所、そしサムライの強さの根源となっていたものでははないか、という気がしてきます。どれだけ豊かになっても、軟弱になっても、日本人が幕末や明治維新の頃の日本人の生き方に惹かれ続けるのは、これがあるからなのかもしれませんね。

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