亡くなった人が会いに来る

ちょっとオカルトというか、スピリチュアルな内容ですけど、僕はこういうのってあると思うんですよね。

現代の科学で分かっている事なんて、この宇宙の中のほんの一部でしかないし、それはどんな分野でもちょっと勉強すれば分かること。人体でも動植物でも地球環境でも惑星でも。人間は何も分かっていないに等しいと思う。

「分からない事は、分からない」と認める。それが本当の科学的な思考の仕方だと思うんですよね。

以下は東日本大震災の時の幽霊?の目撃談や、夢に死者が会いに来てくれたという体験談。

不思議なくらい、心温まる感じがします。亡くなった方への想いがあれば、それはおどろおどろしい「幽霊」ではなくて、「愛しい家族の魂」なんですよね。

「私は死んだのですか」運転手に聞いたタクシー客 被災地と幽霊の深い関係

東日本大震災で多くの人が突然、大切な人との別れを余儀なくされた。幽霊、手紙、夢……。のこされた人たちと「死者とのつながり」を記録し続ける社会学者が見た、東日本大震災からの10年とは。

「災害はこちらから呼んで来るものではなく、向こうから突然来るもの。被災者と接するうちに、死者との関係性を置き去りにしたままでは震災を記録できないのではないかと考えるようになった」。関西学院大の金菱清教授(45)はそう説明する。1995年に阪神・淡路大震災を経験し、「強い印象が残っていたが、個人の身の丈にあった体験の記録が少ない」と感じていた。2011年の東日本大震災では、東北学院大の准教授(14年から教授)として、「震災をしっかり記録におさめよう」と調査・研究に取り組んだ。

ゼミの学生とともにまとめた『呼び覚まされる霊性の震災学』は、幽霊の目撃談で注目を集めた。学生が宮城県石巻市のタクシー運転手に幽霊現象について聞き取りを繰り返すと、こんな話があった。

震災から3カ月ほどたった初夏の深夜、石巻駅周辺で真冬のコートを着た30代ぐらいの女性が乗車してきた。目的地をたずねると「南浜まで」と答えたので、「あそこはほとんど更地ですけど、かまいませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震える声で話した。驚いて後部座席を見ると、誰も座っていなかった。

他にも、8月なのに厚手のコートを着た20代ぐらいの男性客が、目的地に着いたときには姿がなかった話。8月の深夜にコートにマフラーをした小学生の女の子が手を挙げて乗車、運転手は迷子だと思い、女の子が答えた家の場所まで送りとどけると、「ありがとう」と言って降りたとたんに姿を消した話。そんな体験談が記されている。

こうした体験談には「思い込み」や「勘違い」とは言いきれない面がある。タクシーは人を乗せて走り出した時点でメーターを「実車」や「割増」に切りかえるため、乗せた「幽霊」は無賃乗車扱いになって運転手自ら肩代わりしており、記録が残っているという。
この本が新聞や雑誌で紹介されると、多くの反響を呼んだ。金菱さんは「幽霊の目撃談が科学的な調査の対象になるとは思っていたが、記事が出た後も非科学的といった批判はほとんどなく、学問としての共感が大きかった」と振り返る。

心残りがあると成仏出来ない、とよく言われますが、あの様な大災害でいきなり命を失ったら、それはもう心残りだらけだと思います。仕事や家族への想い、何とかしたいと思うエネルギーが何かの形で自分の魂を物質化するのでしょうか。

昔、サイババ(怪しいですかね、笑)について科学者の方が描いた本(「アガスティアの葉」やその続編)を読んだ時に、あの世=五次元以上の世界に存在するものを物質化する話が書いてあって、そういう事もあるのかもしれないと思った事があるのですが、何か極限の想いがあるとそういう力が働くのかもしれないなという気がします。

以下は、残された家族と支社との関係性について。

「人は物語を生きている」とはよく言われますが、その物語をいきなり断ち切られた時、その極限のエネルギーは働きやすいのかもしれませんね。

のこされた人と死者との関係性。そうした領域に金菱さんたちの調査が広がっていったのは、大切な人を亡くした被災者の手記『3.11慟哭の記録』をまとめたことがきっかけだった。
金菱さんが出版された手記を手渡しに行くと、ほとんどの人がその本を大事に仏前や遺影の前に置いた。震災後、心理カウンセリングなどを受けていた人が多かったが、それで「心が楽になる半面、生き残った自分が大切な家族を忘れてしまうことに、罪悪感を抱え苦しんでいた」という。だが、本は死者との記憶を「冷凍保存することができる」。のこされた人の体験を記録しようと始めたが、「ずれていた」と感じた。「痛みを消し去ろうとするのではなく、大切なものとして痛みを温存する方法」として、亡くなった人に手紙を出すプロジェクトを始めた。
その手紙を集めた本『悲愛』を2017年に出版した。金菱さんは「それまで何百人の話に耳を傾け、震災に向き合ってきたつもりだったが、それは『つもり』にすぎなかった。インタビューでは聞かれたことに答えるが、手紙には本当に伝えたいことを、当事者にとって大切な意味があることを書く。そうした私的な感情は、災害の記録では省かれてしまう」と説明する。

『悲愛』(新曜社)

『悲愛』で手紙を書くよう頼んだ人に、「書きたくても書けない」という震災で6歳の娘を亡くした母親がいた。金菱さんが理由をたずねると、震災当時はほとんど漢字が読めなかった娘も年齢を重ねれば読めるようになっているはずで、当時の娘に平仮名で書くべきか、成長した娘に漢字で書くべきか、そこから迷い始めて書き進められなくなるという。金菱さんは「年月がたてば少しは癒やされるかと思ったが、時間がたつほど重たくなる問題がある。遺族が向き合わざるをえない『二重の時間』の残酷さに気づかされた」と話す。
また、手紙を読んでいて、亡くなった人が「夢に出てきた」という記述が多いことに気づいた。なぜだろうか。被災者と接しているうちに、「亡くなった大切な人が夢に突然やってくるのをプレゼントとして喜んでいる」と感じた。
今度は、ゼミの学生とともに被災者の夢を聞くプロジェクトに取り組んだ。それをまとめた『私の夢まで、会いに来てくれた』を18年に出版した。金菱さんは「タイムマシンのように亡くなった人が出てくる夢に救われていた。災害の記録は、どうしても男性的な強いものが多い気がする。『女性や子ども』の記録。それが夢なのではないか」と語る。


『私の夢まで、会いに来てくれた』(朝日新聞出版)


幽霊から手紙、そして夢。「のこされた人と死者とのつながり」を記録し続ける金菱さんは、震災からの10年にこんな印象を持っている。「復興の名のもと『過去をなきものにする』圧力を感じる。死者と生者の織りなす世界を展開している能楽のように、死者として葬るのではなく、永遠のときを生きる、死者とともに時間を自分たちのペースに合わせて進めていくことができるのではないか」

『私の夢まで、会いに来てくれた』 というタイトルが、本当にグッと来ますね。

家族なら、本当にそう思いますよね。

僕自身の体験でも、飼っていたネコが亡くなった後、夢に出て来てくれた時に、夢の中だけでなく現実の寝ている自分が号泣してしまい、自分がそれにビックリして起きた事があります。起きてからも涙が出続けるのですが、本当にその涙で心が癒されるというか浄化される感じで、物凄く心がスッキリすると同時に、温かくなったのを覚えています。

「夢という形で、わざわざ自分に会いに来てくれた。最後に挨拶しにきてくれたんやな」と思って、泣けて泣けて仕方なかったんですよね。

震災に遭われた方でも、そういう形でペットを含めた家族に会った方は多いと思うし、それは災害に遭った中でも明日を生きていく力になったんじゃないかなと思う。

今の科学には「それが事実かどうか、真実なのか?」を検証する力はないけれど、それが事実かどうかよりも、人はそういった縁や魂というものを含めた物語を信じて生きているものなんだと思うんですよね。

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