自分とは合わない人の重要性

私達は自分と同じバイブレーションの人とだけ、付き合っていればよい訳ではない。
自分と同じレベルの人に魅かれるのは当たり前のことです。

しかし、これは誤りです。自分のバイブレーションと合わない人達と付き合う事も、必要なのです。

ブライアン・L・ワイス

話の合う人、価値観や気の合う人と話していると楽しいし、何より居心地がいいけど、でもそれだけでは成長がない。それは適温のお風呂みたいなもので、心地よくて安心感があり、心を落ち着かせてくれるかもしれないけれどそれ以上の役割はない。勿論、大切ではあるけれど、

心をざわつかせる人、自分の価値観を揺らがせる人、世界観を広げてくれる人。そういう人は自分にとっては、「居心地がいいだけではないもの、少しイラつかせる部分」を必ず持っている。

世間の荒波にもまれて人は成長するもの。スポーツなどで難しい技術練習やハードなトレーニングこそが選手を成長させる様に、自分の心や肉体に負荷を掛ける部分がなければ成長はない。

「穏やかで安心」なだけではない人間関係、それが人の心の器を広げ、深めてくれるのだと思う。

人はこの世に、「人間関係を学ぶために生まれて来る」と言いますもんね。

アドラーも「この世の全ての悩みは、人間関係から生じている」と
言いますし。

誰が最初に考えたのか分かりませんが、「人ではなく、”人間”という表現」そのものが、この事を表しているのだと思います。

人と人の間で揉まれて生きる存在。
それが人間であって、人と人間という言葉にはそれぞれ違う意味合いが込められているわけですもんね。

「穏やかで安心を与えてくれる存在」と「自分の心を波立たせ、厳しく鍛え、深めてくれる存在」。

この相反する存在が人間の成長には必要。

その両面を兼ね備えた存在が、両親であったり、師と呼べる人間であったら最高に幸せやけど、それが一人や二人である必要はないから、人生という度の中でそういう師と思える人を自分自身で探して出会っていけばいいのだと思う。

「万物は対立しつつ、調和している」(松下幸之助)。

この境地を頭での理科でなく、体で分かる、体得していくための旅が人生であり、この世での修行なんですよね~。

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