人が成長するために必要なサンドバッグ役

昨晩はボクシングとフィジカルトレーニングの指導でした。

何事もコツコツ努力している人は、やっぱり少しずつ結果が出ていきますね。

その現れた結果は、ご本人だけでなく指導している僕にも喜びを与えてくれます。誰かの成長は教える人間や周囲で応援する人間にも喜びを与えるんですよね。人間の喜びって自分の成長や成功だけじゃない。

畑での野菜作りでもそういった事をよく感じるのですが、野菜を育てている(つもりになっている、笑)の僕と、育とうとしている野菜と、さらに土や土中の栄養素やバクテリアなど様々な環境のハーモニーというか、絡み合い。

そういった色んな力の絡み合いで、作物は育っている。

成長は野菜自身にとっても嬉しい事だと思うのですが、それは育てている人間にも喜びを与えてくれる。人間は食べる為に育てているから、当たり前と言えば当たり前ですけど。

その絡み合いの中どれがエライとか言えるもんでもないとは思うけど、でもやっぱりその中でも人間の力は一番少ないなとは思う。

タネや苗を植えているのは、確かに僕という人間ですが、芽を出して成長しようとする生命力はタネ自身に備わっている力。

そこに、その生長を助ける土などの環境の力。

その中で、芽には見えない力ほど、実は大きな役割を果たしているのだと思います。

人間はついつい思い上がって、我が身の努力を過大評価し、過信するものですが、全体を見渡せば実はそんなに大したものではないんでしょうね。

このサンドバッグも毎日毎日、空手やボクシングの稽古をする人達のために身を差し出して叩かれる役割をしてくれているのに、誰にも大して感謝されていない。

叩いている本人は、「自分が頑張っている。こんなに苦しい思いをして自分は努力している」と思ってますもんね。

「毎日、叩かれているキミ、ありがとう!」なんて思わない。

お腹も敗れて、ガムテープで補修されていても黙って毎日誰かの役に立つために、文字通り「サンドバッグ状態」で殴られ役を買ってくれているのに・・・。

人間の成長のためには、「サンドバッグ役」。憎まれ役とか、カベになってくれる役、ライバルとか試合で言うと対戦相手とかですよね。そういった役割をしてくれる人がいるんやと思う。

家庭でいうと、やっぱり父親がそういう役になると思うけど、嫌な役割というか損な役割ですよね、ちょっと。

でも、優しくて温かい母親役、責任を教える厳しい父親役、目立たないけど重要な脇役とか、色んな役割を演じてくれる人が居て、その絶妙なハーモニーで人や野菜も育っていくんですよね。

ほんまに有難い事やなあ~と思って、僕は一人の時には、サンドバッグに話し掛け、お礼を言う様にしています(笑)

バーベルとかにも。

普通の人からすると、ちょっと頭おかしいんちゃうん?って思われそうですが、宗教やスピ系の勉強をかなりした頃から言わんと気持ち悪くなったんですよね、自分でもちょっとジャマくさい奴になってしもたって感じるんですけど・・・。

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