【人生は本来、命懸け】

感動と同時に、背筋が伸びました。

「今、この世に生かされていること」に感謝がないから、人間って何となく毎日を過ごしてしまうんですよね。

明日は命がないかもしれない、と真剣に思っていたら、毎日をもっと本気で生きるはず。

以下、致知出版社の人間力メルマガより転載 2022.11.12
─────────────────

不世出の建築家アントニオ・ガウディが設計した「サグラダ・ファミリア教会」。
着工から130年以上の歳月を経た
いまなお未完のまま工事が続く壮大な聖堂の建設に、日本人として参加してきたのが彫刻家・外尾悦郎さんです。

建築家、彫刻家など計約200名が働くサグラダ・ファミリアの中で、最も長期間勤め続け、ガウディの意志を最も深く受け継いでいるといわれる外尾さん。
本国の名だたる彫刻家たちを抑え、重要な仕事を任されてきた理由は何なのでしょうか。

〈外尾〉
私自身の気持ちとしては昔から何も変わっていませんが、
ただはっきり言えるのは、34年もあそこで仕事ができるとは一度も思わなかったということ。
いつもいつも「これが最後の仕事だ」と思って取り組んできました。

私は長らくサグラダ・ファミリアの職員ではなく、一回一回、契約で仕事をする請負の彫刻家でした。
教会を納得させる作品ができなければ
契約を切られる可能性がある。
命懸けという言葉は悲壮感があって
あまり好きではありませんが、でも私自身としては常に命懸け。
というのも命懸けでなければ面白い仕事はできないからです。

ただ本来は生きているということ自体、命懸けだと思うんです。
戦争の真っただ中で明日の命も知れない人が、いま自分は生きていると感じる。
病で余命を宣告された人が、きょうこの瞬間に最も生きていると感じる。

つまり、死に近い人ほど生きていることを強く感じるわけで、要は死んでもこの仕事をやり遂げる覚悟があるかどうかだと思うんです。

この34年間、思い返せばいろいろなことがありましたが、私がいつも自分自身に言い聞かせてきた言葉がありましてね。

「いまがその時、その時がいま」

というんですが、
本当にやりたいと思っていることがいつか来るだろう、その瞬間に大事な時が来るだろうと思っていても、
いま真剣に目の前のことをやらない人には決して訪れない。

憧れているその瞬間こそ、
実はいまであり、だからこそ常に真剣に、命懸けで生きなければいけないと思うんです。

ーーーーー

今を真剣に、命懸けで生きていない者に、本当の意味での明日はないんですよね。
こういう言葉を行くと、やっぱり人生、気合いが全てやなと思います。
癒やしとか、甘い事ばっかり言うてるから、本来なら手に入れられたチャンスや経験を失っている人がほとんどなんでしょうね。
楽しむのが悪いんじゃなくて、「命懸けで、真剣で闘っているつもりで楽しむ」っていう心で生きるという事なんやなと思います。

Follow me!