クレバーではなく、ワイズであれ!

自分で訳してみた。

多分、大体合ってるんちゃうかな~?と思うんですけど。

と、思っていたら、微妙に違っているそうで、知り合いのアメリカ在住の方から教えて頂いたので修正しました。

この文の「or」は、「あるいは」ではなく「さもないと」といった意味合いだそうです。

そんな意味があったんですね~、勉強になりました!

いや、ほんま感謝です。

愚か者を正すな!

憎まれるだけだ。

賢人を正せ!

彼はあなたに感謝してくれるだろう。

ブルース・リー

大昔から色んな人が同様の言葉を残していますが、僕自身も人に指導していて、これはもう本当に日々感じるところ。

愚か者は正されると、「怒られた・貶された」と勘違いする。そこにこもっている愛を受け取らないで、表面にある言葉のみを見る。プライドばかりが高いから、それを自分を修正する材料、好機と取れないんですよね。

間違いを指摘された→バカにされた・恥をかかされた!→悔しい!になる。

アホか!っちゅうねん。

賢い人は、「愛情があるから注意してくれている。言いにくい事を言ってくれて有難いな」と感じる。だから、怒るどころか感謝する。

一応、僕は指導者なので、

「ジャブ打つ時、右のガード下がってるわ。それカウンター打たれるで」という言葉を出した際に、言い返されるとかはないけど、一瞬ムッとした表情を浮かべる者や「分かってます!」とか言うてくる人間って結構居るんですよね~。

昔はこういうヤツ、少なかったんですよね。幼い頃にある程度は躾られていたから。内心ではムッとしていても、態度には出さなかった。そういう立ち居振る舞いは、十代でもある程度は出来ていた。

きちんと「押忍、ご指導ありがとうございます!」って、たとえ表面的ではあっても言えたんですよね。

でも、昨今の「褒める教育」で育ってきた人間はもう本当に出来ない。「褒め言葉」以外は全く受け入れる余地がなかったりする。

自分ではちゃんとやってるつもり。でも全然出来てない。それが一回や二回ではなく、いつも同じやから注意しているわけで、でもそれが本人には分からない。

自分はちゃんとやっているつもり、出来ているつもり。

自分も最初は、若い頃はそうでしたけどね。「ちゃんと分かってるって。いつも同じ事、うるさいな~」とか内心で思ってたんですけど、指導している側からすれば、ちゃんと心で聞いてない奴ってすぐに分かるから、もう放っとかれるんですよね。

その内に「あ、自分は見放された」って分かる。

でも、そう気付いた時は、もう遅いんですよね。

もう構って貰えない。

そういう失敗を繰り返して、人は少しずつクレバーではなくワイズになっていくんですよね。

「小賢しさ」「知的レベルの高さ」ではなく、「人間的な、全人的な賢さ」。

これを目指したいな、と思います。

っていうか、この記事自体が、このブルースリーの教え通りの内容やなと今、思って笑えました。

「間違いを正されて、憎む愚か者」ではなくてほんま良かったです~(笑)

関連記事 → 指導者は気付かせ屋

Follow me!

日本の文化

前の記事

伝統の技の喪失