無心になる

「無心になる」って凄い境地みたいやけど、本当に好きな事をやっている時って誰でも割と簡単に入れるもの。

子供の頃は誰もが入れる境地。
大人になる程、難しくなってくるのは、心が他人からの評価に囚われる様になるから。

親や学校教育や周囲の環境から、だんだんと「他人の評価によって自分の価値が決まる」という思考を植え付けられてしまう。

そこから脱するには、何の得にもならない趣味や活動をやってみて、承認欲求から心を外していく事だと思う。

何の得にもならない、誰に評価されなくてもいい、「もうただ純粋に好きなだけ」というものに取り組む中では、自分の内面しか見えなくなる。

大好きな事、夢中になれる事を見つけ、それに没頭している時間は、他にんの意向や意図に囚われなくなっている。
己の価値観に集中し、自分の心の動きだけを見つめる時間。

そこでこそ、自分の在り方が道められるし、心の修行が出来るのだと思う。

昔から、東洋の宗教の修行では体を使うけれど、それは座って行う瞑想や座禅よりも凡人には効果が大きかったからだと思うし、それは現代の体を動かさなくなった人間にこそ必要な考えなんじゃないかなと思う。

武道やトレーニングの指導をしていると、この夢中・没頭に入りやすい人と、なかなかそこへ入れない人がいるのを感じます。

他人軸で生きて来た人、承認欲求に振り回されて生きてきた人がそう。
人の目、他人からの評価が気になってしょうがないから、自己の動きに没頭するのが難しくなっている。

そういう人にこそ、「体を使って自分を知る」という事を行って欲しいもんやな~と思っています。

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