時の流れに身を任せる

片岡鶴太郎さんのインタビュー記事を読みました。

魂レベルで惹きつけられるものってありますもんね。

素直であれば、それに出会えると思う。

――新刊を読むと、鶴太郎さんがご自分の興味の赴くままに好きなことを見つけて、そこに向き合って生きているのが伝わってくるんですが、普通の人がご自分の好きなことを新しく見つけるにはどうすれば良いのでしょうか?

鶴太郎 好きなことって、好きになろうと思ってなってるわけではないじゃないですか。もっと根源的な、本能的なものなんですよね。だから、その声に耳を傾けて、躊躇なく着手するってことだと思うんですよね。誰でも絶対あると思うんですよ。でも、この歳だからできないとか、俺には向いてないだろうとか、いろんな言い訳をしてその芽を摘んでるんじゃないですか。

――なるほど。「好きなことが見つからない」と言う人もいますけど、本当はあるんじゃないか、ということですね。

鶴太郎 あるんじゃないかと思います。これはちょっとできないとか、恥ずかしいとか、自分で勝手にふたをしてるんじゃないですかね。

以下の部分も凄く納得しました。

自分を作らず飾らず、良く見せようとせず、その時々の流れに任せて常に「自然体」で居るって感じかな。

――鶴太郎さんがバラエティ番組によく出られていた頃は、明るく下ネタを言ったりリアクション芸のようなことをやったりしていましたが、そこから芸風をガラッと変えたのは、そのキャラクターをずっと続けるのには違和感があったということなんでしょうか?

鶴太郎 若いときは私の中であれが一番やりたかったし、面白いと思ってやっていたことだったんですね。でも、歳を重ねると嗜好も変わってくるじゃないですか。食べるものや服のセンスが変わるのと一緒ですよね。

 もうああいうことはできないし、今ある姿が今の私にとって一番自然な姿なんです。川の水がどんどん流れていくのと一緒。あのときの私にはもう私も会えないし、昨日の私とも会えないし。だから、昔のことや過去のことはもう何もない。これからのことしか考えてないです。

おっしゃっている通り、過去の自分にはもう会えないし、もう同じ自分ではいられない。だからこそ、今の自分を大事にして、今自分が興味ある事を一生懸命にするしかないんですよね。

以下、記事全文を転載。

「若い頃は性欲という“悪魔”にも悩まされたけど…」片岡鶴太郎(68)が「老いるっていいな」と思えるようになった理由

ラリー遠田 によるストーリー •2 時間

「若い頃は性欲という悪魔の声に随分悩まされて、どれだけ失敗してきたか」

 新刊 『老いては「好き」にしたがえ!』 を出したばかりの片岡鶴太郎さん(68)インタビュー。アンチエイジングが盛んな時代でも、鶴太郎さんが「老い」を否定しない理由とは?(全2回の1回目/ 後編 を読む)

鬱々としていた50代

――鶴太郎さんは50代前半に鬱々とした状態に陥ったことがあったそうですね。

鶴太郎 あれは更年期だったんでしょうね。ハッと気がつくと一点を見つめて、ネガティブな思考になっている自分がいて。ああ、ヤバいな、と。あれはちょっとしんどかったですね。

――何か原因があったんでしょうか?

鶴太郎 漠然とした不安はありました。50代になると、上の世代はまだ元気だし、下からはどんどん新しい人が出てくるし、ちょうど狭間になっていて、ものすごく息苦しさを感じていました。

――それはタレントとして、ということですか?

鶴太郎 あと、画家としても40歳で始めて10年経ってるから、だんだん新鮮味がなくなってきて、これからどうやっていけばいいんだろう、っていうのが見えなかったんですね。

――そこから立ち直るきっかけになったのは、同い年の方々で集まる会に参加されたことだったんですよね。

鶴太郎 はい、昭和29年生まれの人の「午年の会」っていうのに誘ってもらって。当時は自民党の幹事長だった安倍晋三さん、今は神奈川県知事になった黒岩祐治さん、フランス料理シェフの三國清三さんとか、いろんな方がいたんですね。

 それぞれ生まれも育ちも職種も全然違うんですけど、同い年っていうだけでなんかわかり合えるんですよ。そこでちょっと救われました。「同病相憐れむ」みたいな感じで、ああ、みんなそうなんだ、と思ってちょっと楽になりました。同い年の方は大事にした方がいいですよ。

――鶴太郎さんは芸人として活躍されていた時期に、突然ボクシングや俳優業を始めて、路線を変えられたじゃないですか。そこで驚いたり戸惑ったりした人も多かったと思うんですが、ご本人はそういう世間の反応はあまり気にされなかったんでしょうか?

鶴太郎 人様がどう思うかは全然関係ないですね。自分がやりたいことに集中しちゃってるから。ヨガを始めたときも「何やってるんだよ」「1日5~6時間もやるなんて無駄だ」とか、いろいろ言われてたかもしれないけど、それはその人が思ったことであって、私がそれに対して怒りを覚えたりすることは全くないです。

「ネットに悪口を書く人はかわいそう」

――たぶん、若い人ほどネット上の批判的な意見を見て傷ついたりすることも多いと思うんですが、鶴太郎さんは一切気にされないんですね。

鶴太郎 僕は「5ちゃんねる」とか、そういうのも一回も見たことないし、全然気にならないですよ。言いたい人には勝手に言わせとけ、って。

 でも、なんていうか、そういうところに悪口を書く自分の愚かさに気付いてないことがかわいそうだな、っていうのはあります。そんな時間があったらもっと自分のために費やせばいいのに、って思っちゃってますから。

――鶴太郎さんがバラエティ番組によく出られていた頃は、明るく下ネタを言ったりリアクション芸のようなことをやったりしていましたが、そこから芸風をガラッと変えたのは、そのキャラクターをずっと続けるのには違和感があったということなんでしょうか?

鶴太郎 若いときは私の中であれが一番やりたかったし、面白いと思ってやっていたことだったんですね。でも、歳を重ねると嗜好も変わってくるじゃないですか。食べるものや服のセンスが変わるのと一緒ですよね。

 もうああいうことはできないし、今ある姿が今の私にとって一番自然な姿なんです。川の水がどんどん流れていくのと一緒。あのときの私にはもう私も会えないし、昨日の私とも会えないし。だから、昔のことや過去のことはもう何もない。これからのことしか考えてないです。

――新刊を読むと、鶴太郎さんがご自分の興味の赴くままに好きなことを見つけて、そこに向き合って生きているのが伝わってくるんですが、普通の人がご自分の好きなことを新しく見つけるにはどうすれば良いのでしょうか?

鶴太郎 好きなことって、好きになろうと思ってなってるわけではないじゃないですか。もっと根源的な、本能的なものなんですよね。だから、その声に耳を傾けて、躊躇なく着手するってことだと思うんですよね。誰でも絶対あると思うんですよ。でも、この歳だからできないとか、俺には向いてないだろうとか、いろんな言い訳をしてその芽を摘んでるんじゃないですか。

――なるほど。「好きなことが見つからない」と言う人もいますけど、本当はあるんじゃないか、ということですね。

鶴太郎 あるんじゃないかと思います。これはちょっとできないとか、恥ずかしいとか、自分で勝手にふたをしてるんじゃないですかね。

――子供の頃の好きだったことを思い出してみるといい、ということも書かれていましたね。

鶴太郎 子供って無邪気だから好きなことをやっているじゃないですか。それが本来のその人の持っているものだから、そこがとても大事だと思います。

――鶴太郎さん自身も、子供の頃から好きだったものをずっとやっているという感じはありますか?

鶴太郎 ものまねやボクシングはそうですね。でも、瞑想に興味を持ったのは50を過ぎてからです。20~30代だったら恐らくやってないと思うんです。歳を重ねて精神世界みたいなものに興味が出てきたんですね。だからやっぱり老いるっていうのは楽しいことなんですよ。

「老いるっていいな」

――この本を読んでいても、鶴太郎さんは「老いる」ということを悪く捉えていないですよね。むしろ楽しんでいるようなところがあります。

鶴太郎 面白いですよね。「老いるっていいな」と思ってます。性欲とかそういうのもなくなってくるじゃないですか。若い頃は性欲という悪魔の声に随分悩まされて、どれだけお金や時間を使ったか、どれだけ失敗してきたか。今はそれがないから、ゆっくり時間を使えるし。

――お年を召した方の中には「終活」を始めたりして、ご自分が亡くなったときのことを考えたりする人も多いと思うんですが、鶴太郎さんはあまりそういうことには興味がなさそうですね。

鶴太郎 そうですね、死んだ後のことについては私自身は正直どうでもいいんです。もう生涯現役で、最期には午睡のごとく亡くなってた、っていうのがいいですね。長生きしたいっていう気持ちがないんです。

 本当に丸一日真剣に仕事をしていたら、夜はコテッと寝られるじゃないですか。そこで「寝よう寝よう、良い睡眠をしよう」って考えてたら余計に寝られなくなりますよね。

 死ぬのも一緒だと思うんですよ。精一杯やっていたら良い死に方ができる。終活、終活、って思ってる間にも時間は過ぎますからね。それで結果的に何もできなくて、後悔して死んでいくのは私は嫌ですね。( 続き を読む)

〈 「ヨガほど気持ちの良いものはない」片岡鶴太郎(68)が明かした「ヨガ離婚の真相」と「これからの生活」 〉へ続く

後編

「ヨガほど気持ちの良いものはない」片岡鶴太郎(68)が明かした「ヨガ離婚の真相」と「これからの生活」

片岡鶴太郎インタビュー #2

「『ヨガ離婚』ってね……(苦笑)。あのとき言われましたけど、全然そういうのじゃなかったですね」

 今年でヨガを本格的に始めてから12年になる片岡鶴太郎さん(68)。2017年にはあまりの熱中ぶりから「ヨガ離婚」という言葉も囁かれたが、その真相はいかに? 新刊『老いては「好き」にしたがえ!』を出したばかりの鶴太郎さんに「離婚の真相」と「ヨガへの思い」について直撃しました。(全2回の2回目/前編を読む)

「ヨガほど気持ちの良いものはない」

――鶴太郎さんが「ヨガ」を始めたきっかけは、瞑想に興味を持ったことだったんですよね。

鶴太郎 そうです。瞑想というのはヨガの中の最終的なブロックであるということを先生に言われたので、マンツーマンで1から学んでいきました。最初は1日6時間、2日で12時間です。

 まず、「ヨガは宗教ではありません。どちらかと言うと科学であり哲学です」ということを言われました。そこから実践を交えながら、ヨガとはどういうものかを教えてもらいました。体を整えてから精神を整えるんです。毎日これを続けてくださいって言われて、それから私は12年間、1日も休んでないです。

――途中で「よくわからない」とか「つらい」と思ったことはなかったんですか?

鶴太郎 最初のうちは瞑想をやっていても、正解かどうかわからないし、手探りでしたね。1~2カ月はそんな感じでした。でも、そのうちに体の感覚がなくなって、心が穏やかになるのがわかってくるんです。頭もすっきりしてものすごく気持ちが良いんですね。

 あの気持ち良さっていうのは、お酒とかセックスとか、そんなのは比じゃないです。仙人っていうのはこの快感があるから生きていけるのかなと思いますね。それぐらい気持ちが良いです。

――なるほど。毎日何時間もヨガに打ち込んでいるというと、禁欲的に真面目にやっているイメージがあったんですが、それで実際に心地よくなるからできているというのもあるんですね。

鶴太郎 もちろん、もちろん。私はそんなにストイックな人間じゃありませんから。やっぱりヨガやってるときはめちゃめちゃ楽しいし、気持ちが良いんですよ。その多幸感と充実感は、これを超えるものはないっていうぐらいすごいんです。

――一時期、鶴太郎さんがヨガをやっていることがバラエティ番組でも面白おかしく取り上げられたりしたことがありましたね。それだけ真剣にやっていて、テレビで芸人さんにイジられたりするのには抵抗はなかったですか?

「離婚の原因はヨガではない」

――ヨガを続けていると悟りの境地に入ってしまって、性欲もなくなるんじゃないかというイメージがあるんですが、実際のところはいかがですか?

鶴太郎 性欲はもうあんまりないですね。でも、ヨガの呼吸法ではお尻の穴をぐっと締めていくので、括約筋が鍛えられていると思うんです。だから、もし私にパートナーがいたら、それはもう、すっごいことになるかもしれない(笑)。でも、もう離婚して6年経ちますけど、ずっとガールフレンドもいないですからね。相手がいたら文春さんに追っかけてもらいたいんだけど。

――1年前のインタビューでもそういうお話をされていましたが、それ以降も変わっていないんですね。

鶴太郎 そうですね。付き合いたいな、一緒にいたいな、っていう人が出てきたら声をかけたいと思うんですけど、全然いないんですよ。ご縁があったら出会うだろうというふうに思っているから、自分から出歩いて探したりもしていないです。

――2017年に離婚されたときには、鶴太郎さんがヨガで注目されていたこともあって「ヨガ離婚」などと言われたりしていましたが、ヨガが離婚の原因というわけではないんですよね。

鶴太郎 「ヨガ離婚」ってね……(苦笑)。あのとき言われましたけど、全然そういうのじゃなかったですね。もともと私は絵を描いたりするための部屋を持っていて、家族とは別々に生活していたんです。

 子供たちが独立して、自分も還暦を迎えることになって、これからどうやって暮らしていくかと考えたときに、また一緒に2人で暮らすことはできないなと思ったんです。

 それなら一回、結婚を卒業して、お互い好きなことをやっていけばいいか、ということになったんですね。もちろん生活のこととかは今まで通りにするから、ということで。

――今回の本って一見すると「歳を取ってからも趣味を持って人生を楽しみましょう」みたいな感じがするんですが、実際には鶴太郎さんがやっていることってもはや「趣味」という感じではないですよね。

鶴太郎 趣味じゃないですね。趣味だったらここまでやらないです。要は、自分はなぜ瞑想をやりたいと思ったのか、その真理を見たいだけなんです。そこに何があるのかを求めているから、毎日毎日やる。

――では、絵を描くのも、描きながら真理を探っているような感じなんでしょうか?

鶴太郎 それはありますね。モチーフもどんどん変わってくるし。描きたいものしか描いていないので、出来上がった作品を見て「ああ、いま俺はこれを描きたかったのか」って思うんです。絵を見ることで自分を見つめるっていう感じなんですね。

――描きたいものを最初に決めている感覚ではなく、描き上がってから気付くんですね。

鶴太郎 ええ、だから絵を描くのはずっと自分と対話してるようなものなんですよね。ここの色をどうする、もうちょっと薄い方がいいか、濃くするか、って自問自答しながら決断していくんです。だから、他人と話すよりも自分と対話している方が面白いし、一番興味があるんですよね。

「ヨガのおかげで体の衰えも感じない」

――この本では主に60代になった鶴太郎さんの生き方について書かれていましたが、今は68歳で、もうすぐ70代に入りますよね。そんな今の時点では加齢による体の衰えは感じますか?

鶴太郎 それが元気なんですよね。やっぱりヨガを毎日やっているから、筋肉も使っているし、結構体を動かしているんです。毎日毎日続けることによって体ができてくるので、恐らく70になっても80になってもヨガはできると思うんです。

 健康の秘訣って、食べるものと運動と、あとはいかに前向きでいるかっていうことですよね。その3つを実践しているから、元気でいられるんだと思います。

――では、これから70代、80代になっても、朝起きてヨガをするというこのルーティンを続けていくんですね。

鶴太郎 恐らくヨガに代わるものはないですからね。朝にヨガをやって、朝食をとって、それから撮影に行ったり絵を描いたりっていうことは続けていくんじゃないかと思います。

真理を見たい。

自分との対話。

健康の秘訣って、食べるものと運動と、あとはいかに前向きでいるか。

この三つは凄く共感しますね。自分が武道や宗教、哲学などを通して学ぼうとしてきた事と同じやなと思います。

「物質世界の欲で満たされる人」とそれでは心が満たされず、「形而上学的なもの、精神世界などへ関心が向かう人」が居て、その差は埋め難いもんやなと日々、感じています。

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