「負けても次がある」と思えること

「大谷翔平君と尚弥はゆとり世代の成功例」大橋秀行が語る井上尚弥の“本当の強さ”とは?

「大谷翔平君と尚弥は、ゆとり世代の成功例」

 パワー、スピード、技術。すべてが武器になっている井上尚弥だが、大橋が舌を巻くのは心の強さだ。

「尚弥って、本当に類いまれで一番強いのはメンタルだよね。あの強さは尋常じゃない。今回も一緒にいて、すごくそう思ったから」

 フルトン戦で揉めた“バンデージ問題”はまさに好例だった。何があっても動じない。多くのボクサーを見てきた大橋の目にも、尚弥の心の強さは特別だという。

「いないな、ああいうのは……。やっぱり俺なんかのときは負けたらおしまい、ボクシングもある意味で武士道だった。でも尚弥はさっき言った通り、負けたら次に頑張ればいい。たぶん本当にそう思っている。ゆとり世代のいいところかもしれない。大谷翔平君と尚弥は、この世代の成功例でしょうね」

一昔前(ふた昔かな?)までは、「次があると思うなよ!」っていうのが、武道やスポーツの世界では当たり前の教え方で、「どれだけ精神的に追い込むか?」っていうのが指導者も生徒側にとっても基本にありましたね。

道場やジムには必ずと言っていい程、「練習で泣いて、試合で笑え!」っていう標語がありましたし。

「負けたら終わり」、背水の陣っていうのは時にはいいかもしれないけど、余程でないと心身が緊張し過ぎていいパフォーマンスが出来ない方が多いですもんね。

僕は世代的に精神を追い詰められる指導を受けてきたけど、周りを見ていても、そういう指導って根性はついても、「リラックスしていい動きをする」という部分からは遠ざかってしまう事が多い。

心と体の両面を一番いい所へ持って行くというのは、選手と指導者の精神性や相性、環境など色んな要素を考えていかんとアカンのやろうなと思います。

ゆとり世代、「褒めて育てる」で皆が伸びてるか?っていうとそうではないですしね。

でも、脳やら心理学やらの本を沢山読んでいると、「失敗してもそれは学びであり、次に活かせばいい」という考えが根底にある事は、脳や神経がリラックスするから心身のパフォーマンスを上げるためにはいいらしいので、基本はそこに置いて時々、追い込んで心に負荷を掛けるみたいな感じがいいのかな?と思います。

のちに軽量級の伝説的王者となるリカルド・ロペスと拳を交えた大橋秀行は、忘れがたい輝きを残して現役生活にピリオドを打った。その後、自ら立ち上げた大橋ジムの会長として、強者との闘いを追い求める“大橋イズム”をさらに進化させる“モンスター”と巡り合う。全4回にわたるロングインタビューの最終回では、名王者から名伯楽へと華麗な転身を遂げた大橋が、井上尚弥の衝撃と「本当の強さ」について大いに語った。(全4回の4回目/#1、#2、#3へ)※文中敬称略

リカルド・ロペスは「はるか宇宙圏にいる感じ」

 1990年10月25日、後楽園ホール。リングでリカルド・ロペスと向き合った大橋秀行は、すぐにこれまでのボクサーと間合いが違うと感じた。

「距離というか、もう空間が違う。俺は(接近戦の多い)韓国の選手に没頭していた。でもロペスはその距離にいないんです。はるか宇宙圏にいる感じですよ。いつも地球内で闘っていたのに、宇宙圏での闘いになっちゃった」

 だが、1ラウンド、大橋は右を当てる。ロペスがぐらついた。効いている。「いける!」。そう思った瞬間、トレーナーが練習を見て真っ青になっていたことが頭をよぎる。

「もしかしたら罠があるかな、と躊躇しちゃったんです。あそこで一気に勝負にいけばよかった。悔やむとしたら、それだけです」

 立ち直ったロペスは足を使ってきた。前後だけでなく横への動きが速い。これまで味わったことのない感覚。これには大橋も驚いた。

「ああいうパパッと横の動きをする人って、いなかった。本当に異次元の空間でしたね」

 ロペスの突き刺すような左、右ストレートを浴びてキャンバスに崩れ落ちた。4回に1度、5回に2度倒され、KOで王座を失った。

 だが、対戦したことに後悔は一切ない。ロペスがスター街道を歩み、奪ったベルトを21度防衛する姿をずっと見ていた。

「嬉しいですよ。だって、あの後10年近く、ずっと『前チャンピオン』のままですもん。ジムの会長をやっているのに、元じゃなくて前チャンピオンですよ。張正九にしても、ロペスにしても、対峙した人間しか味わえない、言葉にできないことがあるんです。それを言葉にできるのは大きな財産ですね」

 WBC総会や世界戦でジャッジやレフェリーと接したとき、「元世界王者の大橋秀行です」と名乗っても、わからない人もいる。だが、「あのリカルド・ロペスにベルトを奪われた」と言えば、誰もが反応する。

「みんな『おお、フィニート!』ってね。やっぱり誰と闘ったかというのは大事ですよ。ロペスの知名度は今でも抜群だし、張正九も有名ですから」

2度目の世界王座獲得も、28歳で引退

 大橋はロペスとの再戦を切望し、現役を続けた。1992年10月14日、対抗王者の崔煕墉(チェ・ヒヨン)を3-0の判定で破り、WBA世界ミニマム級のベルトを獲得した。

「もうね、俺のちょっと後に辰吉とか鬼塚が出てきて、彼らが凄かったんだよね。だから2度目の世界チャンピオンになったときには、1回目ほどのインパクトがなくて、『あれっ?』って思ったのを覚えていますよ」

 その後、タイのチャナ・ポーパオインに判定で敗れ、王座から陥落。2階級上げてフライ級での再起を考えたが、目の調子が思わしくない。試合から1年後の1994年2月7日、現役引退と大橋ジム設立を表明した。戦績は24戦19勝(12KO)5敗。28歳のときだった。

 濃密なボクシング人生を歩んだ「150年に1人の天才」は、世界王者の肩書きや防衛回数よりも、強者と拳を交えることを優先した。張正九との激闘、歴史に刻んだ崔漸煥からの王座奪取、高度な技術戦となったロペスとの邂逅。確かにステンドグラスのような、さまざまな色が混じった、大橋にしか放つことのできない独自の輝きだった。その輝きは観る者を惹きつけ、忘れがたい記憶を刻んだ。

規格外のモンスター・井上尚弥との出会い

 ジムの会長になっても、大橋の系譜を継ぐ者がいる。井岡一翔やローマン・ゴンサレスと拳を交えた八重樫東もその1人だ。世界王者になっても強者に挑んでいった。

「八重樫もそう。背中を見ていたから、誰とでも闘う。ローマン・ゴンサレスとやるときも、『闘った方がいい。闘うだけでも将来的に違うから』となったんです」

 そして井上尚弥は、大橋ジムに入る条件として「強いヤツとやらせてください」と言った。

「俺たちは『誰とでも闘う』というだけだったんですよ。勝ち負けはさておきね。なのに、誰とでも闘った上で倒して勝っちゃう、進化形のモンスターが現れたんだな」

 大橋はそう言って笑った。

 2階級上げて挑んだオマール・ナルバエス戦しかり、直近のスティーブン・フルトン戦しかり。どんな相手でも拒まないどころか、もっとも難しい相手と進んで対峙しようとする。それは尚弥だけではない。弟の拓真も「強いヤツとやらせてください」と口を揃える。

 ボクサーは主にキャリア序盤、経験を積むため、あえて実力の劣る相手と闘うこともある。従来、王道と考えられてきた育成法だ。だが、井上家は違う。強者との闘いを欲してきた大橋でさえ、驚くことがあるという。

「井上家が凄いのは、やれば負けるかもしれないけど、もし負けてもそれを課題にして強くなればいい、という考え方。だから常に『強い選手とお願いします』という感じなんです」

 大橋の現役時代は、1敗したら引退という考えのボクサーが多かったが、井上家は負けることを恐れていない。

井上尚弥と対峙して思い出した“あの感覚”

 井上尚弥は世界4階級を制し、年内にもスーパーバンタム級4団体統一戦が計画されている。さらに「再来年くらいにフェザー級」「ラスト1試合くらい、スーパーフェザー級に挑めれば」と6階級制覇が最終目標であることも明言した。大橋はあっさりと言った。

「全然いけるんじゃない。だってスパーリングでライト級、スーパーライト級の有名な人をバタバタ倒しているのを、俺は見ているから。フルトン戦もやれ身長差がとか、体の大きさがとか言われたでしょ。でも、どれだけ強いか間近で見ている人間からすれば、まったく問題ない。自信を持っていたんです」

 大橋が引退してから20年余り。監修するボクシングのDVD撮影で、軽い手合わせのマス・ボクシングで尚弥と向き合った。

「あれ、この横の動き、パパッとした動き、どこかで同じ感覚を受けたことがあるな、と。それがリカルド・ロペス。思い出しましたよ。本当にあのときの印象、同じ感覚でした」

「大谷翔平君と尚弥は、ゆとり世代の成功例」

 パワー、スピード、技術。すべてが武器になっている井上尚弥だが、大橋が舌を巻くのは心の強さだ。

「尚弥って、本当に類いまれで一番強いのはメンタルだよね。あの強さは尋常じゃない。今回も一緒にいて、すごくそう思ったから」

 フルトン戦で揉めた“バンデージ問題”はまさに好例だった。何があっても動じない。多くのボクサーを見てきた大橋の目にも、尚弥の心の強さは特別だという。

「いないな、ああいうのは……。やっぱり俺なんかのときは負けたらおしまい、ボクシングもある意味で武士道だった。でも尚弥はさっき言った通り、負けたら次に頑張ればいい。たぶん本当にそう思っている。ゆとり世代のいいところかもしれない。大谷翔平君と尚弥は、この世代の成功例でしょうね」

 男子4人、女子1人。計5人の世界チャンピオンを育ててきた大橋だが、「まだまだですよ」と自身を鼓舞するように言った。現在、リングに現れている成果は4、5年前に種をまいたものだ。月日をかけて栽培し、芽が出て、花が咲き、実となっている。

「今もいい選手がたくさんいるし、今後もジムに入ってくる予定なので。今があるのは、決して偶然じゃない」

 現役時代に日本ボクシング界の「冬の時代」を終わらせた男が、指導者として丁寧に、絶えずまき続けている種。その種はいずれ、“大橋の系譜”を継ぐ者に育っていくだろう。

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