工夫とは「今ある手持ちでなんとかする力」

トレーニングを指導していて感じる事が多いのですが、「正解」「答え」をすぐに求める人が多いですよね。間違いや失敗を怖がる人が多いなって。

「自分なりの答え」というのか、「自分にあった方法」はみんな少しずつ違うのに、万人に共通の正解メニューを求めようとする。世間的な意味での「真面目」な人ほどそう。

学校教育の弊害を感じます。

思考力とは「今ある手持ちでなんとかする力」井本陽久氏が語る、創意工夫が生まれる条件

「子どもが生き生きしているとはどういうことか」といったら、「自分のやり方でやっている、自分のやり方で考えている」、この1点なんですね。



そのときはどんな子でも生き生きしている。そのことが魅力でずっと先生を続けているんだと思います。しかも、子どもが自分のやり方、考え方を一番発揮するのは、「ふざけ・いたずら・ずる・脱線」なんですよ。怒りたくなるところですね。



本当は、これにはすごい価値がある。とくに脱線は、ここからいろんな発見が生まれて授業が一気に盛り上がるんです。ただ、学校ではなかなか認めにくいところですね。
それはなぜかというと、「学力」というものの考え方によると思うんです。学校ではやっぱり「できる・できない」という軸で生徒を見て評価しますよね。できるか、できないかです。
たとえば数学で言うと、与えられた問題を解いて、正解を導けるということです。それが大事なことになるわけです。
言ってみれば正解を導くというのは、一度習ったことを同じ場面で正確に再現できるということなんですよ。これが、学校で求められている力です。「できる・できない」となると、必ずそうなります。
子どもたちのほうも「できるかできないか」で評価されたら、できようと思ってしまう。そしてどうなるかといったら、やっぱり再現できるように学ぶようになります。
そのためには、自分の考え方で考えないほうが得なわけです。「こうやったら正しく導ける」という先生から教わった考え方を使ったほうが間違えることがないからです。だからますます自分では考えなくなる。

「正解を書けばいい」これで育てば、ムダな事はしたくない。これが思考に沁みついてしまえば、「答えになるべく速く辿り着くのがこの世界での正解」という脳になる。「それ以外の方法は損」、という風に考える。

すると、脳に色々な角度から考えるという思考パターンが組み込まれない。思考パターンにバリエーションのない脳になってしまう。

正解を出すだけなら、自分で判断しない方が得

これはまさに受験というものが大きく影響していると思います。受験は数値で評価しないといけないから、数値で評価できるもので判断する。そうなると、与えられた問題の正解を導けるかかどうかになってしまうんですね。

先ほども言いましたけれど、そうすると子どもたちはどうなるかというと、自分のやり方でやらないほうが得だと思うようになるんです。自分で判断しないほうが得なんですね。おそらく小学校に入ったところから、小学生たちは「自分のやり方でやらないほうがいい」「自分で判断しないほうがいい」ということを自然に学んでいるんです。

少しぐらい遠回りをしても、色々な考え方・やり方を試すのが、自分の脳や心を豊かにするという考え方が育たない。

全てが、「損得・効率」になってしまう。「自分ならでは」の思考のクセがないというのは、「その人特有の味」がないという事になってしまう。それでは人間的な魅力も何もない人間になってしまうと思う。

「魅力がある人」というのは、ここで言われている様な「手持ちで何とか工夫をする」人間だと思います。

思考力を僕はどう定義しているかというと、やはり学校でやることというのは再現力。つまり「なにかを解決するときに向けて今のうちに手持ちをたくさん増やしておく」というのが再現力ですね。
でも、僕はそうじゃなくて、「今ある手持ちでなんとかする」という力ですね。力と言ってもいいし、力なんかなくてもいいです。今ある手持ちでなんとかしようという姿勢でもいいですよね。

これを授業の中で大事にしようと決めています。実は、再現力を身につける勉強というのは、子どもにとってはルーティンでつまらない。退屈なんです。それに対して今ある手持ちでなんとかしているときの子どもは、もうそれだけで生き生きしています。
子どもは手持ちがなければないほど、むしろすごく楽しめるんです。例えば、スパゲッティがあって、我々はフォークがなかったら困るじゃないですか。でも、子どもはものすごく喜ぶと思いますよ。「なにで食べようかな!?」「手とか!?」「うわ、やっべー!」みたいな。おもしろいんですよ。それは、自分で考える余地があるからなんですね。

以下の部分も面白いです。

人は足りない、不自由だから工夫をする。

これ、確かにそうですよね。僕も空手を始めた時、身体が小さくて、才能もなかったから、そのお蔭で凄く工夫する人間になれたんだと思います。大きくて、才能があったら、普通に努力すればどんどん強くなれるんだから、僕は工夫しなかったと思います。

そういう恵まれた環境でも愚直に努力出来る人は、超一流になれるんでしょうね。僕みたいな普通の人間は劣った部分があるから、工夫をするんだと思います。

創意工夫の達人、松下幸之助さん。
病弱だから、一日働いたら次の日は寝込んでしまうほど体が弱かったから、とにかく工夫したとおっしゃっていますね。

思考力を僕はどう定義しているかというと、やはり学校でやることというのは再現力。つまり「なにかを解決するときに向けて今のうちに手持ちをたくさん増やしておく」というのが再現力ですね。
でも、僕はそうじゃなくて、「今ある手持ちでなんとかする」という力ですね。力と言ってもいいし、力なんかなくてもいいです。今ある手持ちでなんとかしようという姿勢でもいいですよね。

これを授業の中で大事にしようと決めています。実は、再現力を身につける勉強というのは、子どもにとってはルーティンでつまらない。退屈なんです。それに対して今ある手持ちでなんとかしているときの子どもは、もうそれだけで生き生きしています。

子どもは手持ちがなければないほど、むしろすごく楽しめるんです。例えば、スパゲッティがあって、我々はフォークがなかったら困るじゃないですか。でも、子どもはものすごく喜ぶと思いますよ。「なにで食べようかな!?」「手とか!?」「うわ、やっべー!」みたいな。おもしろいんですよ。それは、自分で考える余地があるからなんですね。

この先は、有料なので読んでないんですが(笑)、凄く考えさせられる記事でした。こういう先生に子供の頃に習えたら、全然違ってくるでしょうね。

自分のやり方でまずやってみる。上手くいかない所を工夫していく。それでも上手くいかない時は、誰かの意見を参考にしたり、見る角度・解釈の仕方を変えてみる。「捉え方を変える」っていうのは、すごく大事な所だと思います。

僕は空手やトレーニングなどを教えているけれど、こういう「足りない部分を工夫する面白さ」を伝えていける指導者でありたいなと思います。単なる「正解」を教えるのではなく、こういう指導者が各界で増えると、世界は本当に変わってくると思うんですよね。

参考記事

過去の事実は変えられない。しかし「どう捉えるのか?」はいくらでも変えられる。解釈の仕方一つ。 → 過去の経験に上書きしていく

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